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海を越えた鉄道 敦賀港

天筒山から望む敦賀港(敦賀市で)
天筒山から望む敦賀港(敦賀市で)

 古くから海路の要として栄えた港町・敦賀。車で街を巡ると、廃線跡を横切った。旧北陸線の敦賀駅と敦賀港を結んでいた線路の名残だ。敦賀―長浜間が一部区間を除いて開業した1882年に敷かれた。「旧敦賀港駅線路」として日本遺産の文化財を構成している。

 84年には敦賀―長浜間が全区間で開通。敦賀は、琵琶湖の湖上交通の拠点だった長浜を経て、太平洋側と鉄路で結ばれた。

 99年には、国際港に指定される。その背景には、ある人物の尽力があった。

 大和田荘七(1857~1947年)。外国貿易の時代が来ることを予見していた大和田は銀行を設立し、港を利用する商人を支えた。国内貿易の扱い量が減少する危機には、私財をなげうって貿易量を支えたとされる。

旧大和田銀行本店本館の歴史について語る高早・館長補佐(敦賀市で)
旧大和田銀行本店本館の歴史について語る高早・館長補佐(敦賀市で)

 レトロな洋風建築の「旧大和田銀行本店本館」は現在、市立博物館として公開されている。館内には公会堂や食堂も備える。同館の高早恵美・館長補佐(49)は、「訪れた顧客や市民を楽しませようとする、もてなしの精神が根底にある」と解説する。

 博物館には、東京―ベルリン間の切符の写真が展示されている。東京・新橋とヨーロッパを結ぶ「欧亜国際連絡列車」は1912年に開業。敦賀港で船に乗り換え、ロシアのウラジオストクに渡り、シベリア鉄道でヨーロッパに向かえた。

 〈ああ皐月さつき仏蘭西フランスの野は火の色す君も雛罌粟コクリコわれも雛罌粟〉

 単身パリに渡った夫・鉄幹と現地で再会を果たした与謝野晶子の歌だ。晶子はこのルートを使った。「日本マラソンの父」と言われる金栗四三かなくりしそうも、敦賀経由で12年のストックホルム五輪に向かった。

 第2次世界大戦中には、外交官・杉原千畝ちうねから「命のビザ」を発給されたユダヤ難民が、このルートで敦賀港に上陸した。市民は銭湯を無料で開放したり、リンゴなどの果物を配ったりして迎えた、と伝わる。

 市の資料館「人道の港 敦賀ムゼウム」には、当時来日したユダヤ人の証言が、映像で残っている。〈天国のように見えた敦賀の町。この地の人々の温かさは決して忘れない〉

 日本遺産の構成文化財の一つ「敦賀港の景観」を求めて、天筒山に向かった。30分ほど登ると、展望台から港と海が一望できた。これまでどれほどの人と物資がここを行き交ったのだろう。

 「観光ボランティアガイドつるが」の増田正樹会長(69)は、「大陸との玄関口として、異文化を認め、受け入れる雰囲気が街に醸成された。今も市民の気質となって受け継がれている」と話す。

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1994015 0 New門 2021/04/19 05:00:00 2021/04/19 05:00:00 2021/04/19 05:00:00 天筒山からは敦賀港を一望できる(敦賀市で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/04/20210418-OYTAI50003-T.jpg?type=thumbnail

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