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スイッチバック 峠攻略

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海を越えた鉄道 山中トンネル

 旧北陸線長浜―敦賀間の全通を果たした明治政府は9年後の1893年、敦賀―福井間の敷設に着手するが、急勾配の山々が立ちはだかった。特に敦賀から今庄(南越前町)までの間は1キロ進む間に25メートル上る箇所もあり、牽引けんいん力の強いD51形蒸気機関車でも過酷な条件だった。

 最大の難所は「山中越え」と呼ばれる峠。通過を可能にしたのが「スイッチバック」だ。山中トンネル(全長1170メートル)の出入り口付近にある「山中信号所跡」には、今もスイッチバックの跡が残る。列車はいったん折り返し線に入り、待避線にバックする。対向列車が通過した後、待避線の下り傾斜で勢いをつけてトンネルに入っていた。

 山中トンネルの出入り口の左奥には、もう一つのトンネルが口を開けている。折り返し線を延長するために、1956年に掘られた「行き止まりトンネル」だ。その頃には全長が500メートルにもなる50両編成の貨物列車も登場し、当初の折り返し線では収まらなくなっていた。

山中トンネル(右)の左奥にある行き止まりトンネル。スイッチバックのために使われた(南越前町で)
山中トンネル(右)の左奥にある行き止まりトンネル。スイッチバックのために使われた(南越前町で)

 「汽笛で『ポポポー』と鳴らすと、『バックするぞ』という合図でした」。D51を後ろから押す「補機」に機関助士として乗務した敦賀市の桐畑民雄さん(86)は語る。スイッチバックでは、先頭車両と最後尾の乗務員の連携がカギを握っていたという。

 当時の運行は今ほどダイヤ通りでなく、別の列車の遅れの影響でトンネル内で停止し、待機することがあった。トンネル内は蒸気と煙の熱がこもり、桐畑さんは「ひんやりとした石炭に顔をうずめてなんとかやり過ごした」と振り返る。

 敦賀―今庄間で建設したトンネルは12本。山中トンネルの工事には削岩機が用いられたが、硬い岩盤や暴風雨による水害などで難航し、完成までに3年を費やした。敦賀側のトンネル口には落盤事故の犠牲者の慰霊碑が建てられている。

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1996133 0 New門 2021/04/20 05:00:00 2021/04/20 05:00:00 2021/04/20 05:00:00 山中トンネル(右)とスイッチバックのために使われた行き止まりトンネル(南越前町で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/04/20210419-OYTAI50000-T.jpg?type=thumbnail

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