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[浪江町津島 6月]災害現場支えたい

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訓練に励む今野さん(6月22日、福島市荒井の陸上自衛隊福島駐屯地で)
訓練に励む今野さん(6月22日、福島市荒井の陸上自衛隊福島駐屯地で)

 福島市郊外にある陸上自衛隊福島駐屯地。東京ドーム11個分の広大な敷地で、約1200人の隊員が日々、鍛錬を積んでいる。第44普通科連隊に所属する3等陸曹の今野将太さん(27)もその一人。新緑の木々に溶け込む迷彩服で銃を構えると、表情はいっそう引き締まる。

 小さい頃から運動神経は抜群だった。津島小3年で始めた少年野球は、投手、内野手、外野手とどのポジションでもこなした。陸上との「二刀流」で、中学の時は走り高跳びの県大会で優勝するほどだった。

 進学した地元の県立浪江高校津島校は、同級生27人の小さな高校。部活は陸上に専念し、クラス担任で陸上部の顧問だった教諭の勧めで、強肩を生かせるやり投げに転向した。最初は投てきのたびにやりが左右にぶれていたが、マンツーマン指導で次々と記録を伸ばし、2年の時には全国高校総体(インターハイ)に出場した。

 分校からの出場は珍しく注目を集めた。校舎には出場を祝う垂れ幕が堂々と掲げられ、地元の住民からは「頑張れよ」と顔を合わせるたびに声をかけられた。

 本番は予選で敗退。悔しさもあったが、「来年また頑張る」と前を向いた。津島の寒い冬を越えて、高校最後のシーズンを迎えようとした時、原発事故が起きた。父の単身赴任先だった新潟県柏崎市に避難し、約2か月間はやりを触ることすらできなかった。

 福島市の借り上げ住宅に移り、避難先の二本松市で再開した高校に通ったが、グラウンドは狭く、土手に向かってやりを投げた。たまに近くの運動公園に行き、県大会は優勝。ただ、東北大会では記録を伸ばせずインターハイ出場を逃した。

 陸上が一段落して将来について考えたとき、震災後のテレビニュースに映っていた自衛隊の姿が頭に浮かんだ。行方不明者の捜索や救援物資の輸送。懸命に活動する迷彩柄の人たちが「輝いて見えた」ことを今でも覚えている。「今度は自分が支えたい」と決めた。

 入隊後、山に入って3~4日、一睡もせずに訓練に励んだ。自慢の体力をもってしても、体重が7キロも落ちてしまうほど厳しい訓練もあるが、それを乗り越えた時に自信が生まれる。

 第44普通科連隊は、災害などが起きれば最前線に派遣される。その現場はどこも過酷だ。2017年春に地元浪江町の帰還困難区域で発生した山林火災は、12日間にわたって燃え続けた。19年10月の台風19号の時は、住民が土砂崩れに巻き込まれた二本松市に入った。現場は震災で日常が失われた古里とどこか重なった。

 帰還困難区域となった津島の出身だからこそ、被災者の気持ちは痛いほど分かる。「一人でも多くの命を助けたい。人の役に立ちたい」。初心を忘れたことはない。(石沢達洋)

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2204039 0 いまここから 2021/07/03 05:00:00 2021/07/03 05:00:00 2021/07/03 05:00:00 訓練に励む今野さん(6月22日午前11時、福島市荒井の陸上自衛隊福島駐屯地で)=石沢達洋撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/07/20210714-OYTAI50000-T.jpg?type=thumbnail

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