長期避難再起を狙う 2016年 標葉郷

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

6年ぶりの野馬追で初めて一番旗を獲得した吉田さん(2016年7月24日、南相馬市原町区の雲雀ヶ原祭場地で)
6年ぶりの野馬追で初めて一番旗を獲得した吉田さん(2016年7月24日、南相馬市原町区の雲雀ヶ原祭場地で)

 2016年7月24日、標葉しねは郷騎馬会(浪江、双葉、大熊町)の吉田昌平さん(44)は、6年ぶりに雲雀ひばりヶ原祭場地にいた。空を見上げると、赤い旗が自分に向かって落ちてくる。神旗争奪戦で最高の栄誉となる一番旗。右手でしっかりつかみ、大観衆が待つ羊腸の坂を駆け上った。その年獲得した旗は出場者トップの3本。甲冑かっちゅう競馬も1位。「避難で苦しんだ分、神様が与えてくれたのかな」

 生まれは旧小高町(南相馬市小高区)。普段は優しい地元の「おじさん」たちが7月だけ、りんとした侍に変身する野馬追は、幼い頃から日常の光景だった。まるで別人のようになって「最初は怖かった」が、いつしかその世界観に夢中になった。大熊町の牧場で乗馬を習い、中3の時に初陣。標葉郷騎馬会に所属した。

 当時大熊町にあった県立双葉農業高校に通い、仲間と馬術部をつくった。卒業後は馬の調教の仕事に就こうと、埼玉県の浦和競馬場で2年ほど研修を受けた。1996年7月、結婚を機に20歳で大熊町に戻り、なじみの牧場に就職した。

 当時の町の騎馬武者は約20人。他の自治体より少なく、アットホームな雰囲気があった。地元の女性が相馬流山踊りで出陣式を盛り上げ、行列後の凱旋がいせんを多くの町民が出迎えてくれた。「僕も大きくなったら出たいな」。子供たちのそんな声を聞くのが楽しかった。

 原発事故はそんな日常を壊し、野馬追は「苦しさ」を象徴する存在になった。

 全町避難となり、妻、長男、次男と県内を転々とした。町には自由に入れず、馬を置く小屋も使えない。野馬追に出るには家族の助けが必要だが「迷惑をかけてまで出陣するべきなのか」とためらった。毎年7月を迎えるのがつらかった。

 「ちょっとよろい、着てみろよ」。長男の駿さん(23)に何げなく声をかけたのは2014年5月。町内の自宅から持ち出した茶色の甲冑は、いわき市の借り上げ住宅に飾ってあった。高3の息子の体にぴたりと合った。

 その年、駿さんを野馬追に送り出した。小4以来の出陣だったが、神旗争奪戦で奇跡的に旗を取った。勇ましい姿に何度も涙が出て腹を決めた。「自分も戻ろう」。水戸市に自宅を再建したのを機に、16年から復帰し、昨年まで4年連続で旗を獲得した。「今後も出続けることが自分の役目」と強く思うようになった。

 それでもまだ足りないものがある。大半の地域で避難指示が続く大熊町では行列を再開できていない。

 だから今年は、避難指示が解除された大川原地区で凱旋報告を開く計画を仲間たちと立てた。コロナ禍で断念したが、気持ちは揺るがない。「いつか必ず行列を復活させて、大熊のみんなを喜ばせたい」

無断転載・複製を禁じます
1263199 0 野馬追と生きる 2020/06/07 05:00:00 2020/06/07 05:00:00 2020/06/07 05:00:00 6年ぶりに野馬追に出た吉田さんは、初めて一番旗を獲得した(吉田さん提供)(南相馬市原町区で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/06/20200606-OYTAI50002-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

アクセスランキング

新着クーポン

NEW
参考画像
入泉料割引
NEW
参考画像
ご利用料金割引
NEW
参考画像
3080円2464円

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)
ページTOP
読売新聞社の運営するサイト
ヨミダス歴史館
ヨミドクター
発言小町
OTEKOMACHI
元気ニッポン!
未来貢献プロジェクト
The Japan News
YOMIURI BRAND STUDIO
美術展ナビ
教育ネットワーク
活字・文化プロジェクト
よみうり報知写真館
読売新聞社からのお知らせ