災後機運高まり出陣 2011年 宇多郷

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

震災後直後の相馬野馬追で出陣式に参加する小川さん(右)(2011年7月23日、相馬市の相馬中村神社で)=相馬市提供
震災後直後の相馬野馬追で出陣式に参加する小川さん(右)(2011年7月23日、相馬市の相馬中村神社で)=相馬市提供

 1000年以上続く相馬野馬追が今夏、東日本大震災から10年目を迎える。今年は新型コロナウイルスで開催が危ぶまれたが、震災の年より規模を縮小した「無観客開催」で伝統を守る。災厄を払い人々に勇気を与える存在として、古里や家族をつなぐ象徴として、相馬地方に息づく野馬追。騎馬武者たちの思いを通して、9年間の軌跡を追う。

 2011年7月23日、相馬中村神社(相馬市)の境内の空気は張り詰めていた。

 「黙とう」

 ほら貝が響く中、甲冑かっちゅうに喪章をつけた宇多郷の騎馬武者たちが太平洋に向かってこうべを垂れた。

 4か月前、津波に襲われた沿岸では騎馬武者も含めて大勢の人が犠牲となり、馬や馬具も流された。小高郷と標葉しねは郷は原発事故で避難指示区域となり、住民たちは県内外に離散した。相馬行胤みちたね総大将は、こう訓示した。「伝統の力を信じ、一日も早く東日本の復興が実現することを念じながら行軍してほしい」

 総大将の最側近「侍大将」を務めた現・宇多郷騎馬会長の小川恵明えみょうさん(70)の脳裏には、境内に集まった人々の期待に満ちた表情が焼きついている。市中心部で行列が始まると、沿道では高齢者から小さな女の子までが手を合わせていた。「震災に負けてたまるか」。手綱を引く手に力が入った。

 春先、騎馬武者たちは「今年の野馬追」を思って心を躍らせるが、この年は違った。「大勢が避難していて無理だ」「伝統を途絶えさせてよいのか」。開催の是非を巡って揺れていた。

 けがれを忌避する神事のため、死者が出た家は直後の野馬追への参加を自粛する風習もあった。小川さんも「多くの方が亡くなった直後で、野馬追をやっていいのか相当迷った」。

 関係者で開催の可否の検討が続いたが、次第に多くの市民から開催を望む声が上がり、小川さんの元にも催促するような問い合わせが相次いだ。6月に入ると、多くの騎馬会員が参加を表明し、役付を決める会合では「こんな時だからこそやろう」と団結した。

 こうした機運を受け、執行委員会は同月18日、各神社での神事や、宇多郷と北郷での武者行列などに限定して開催すると決めた。神旗争奪戦などは見送られ、参加できた騎馬武者は82騎と前年の2割程度だったが、行列の際に沿道から上がった「ありがとう」という声が何よりうれしかった。

 今年は行列も中止になるなど11年より規模が縮小されるが、小川さんたち宇多郷の騎馬武者の士気は高い。「少しでも元の状態に戻ることを願って出陣したい。それが相馬家の旗本たる宇多郷の騎馬武者の使命だ」

相馬野馬追 地元の三つの神社の祭礼。相馬地方を治めた相馬氏の始祖・平将門が野馬を敵兵に見立てた軍事演習を下総国(千葉県)で行ったのが起源とされる。旧相馬中村藩の五つの郷(ごう)ごとに騎馬隊を編成し、雲雀(ひばり)ヶ原祭場地まで行軍後、甲冑競馬や神旗争奪戦を行う。最終日の野馬懸(のまかけ)は、裸馬を素手で捕らえて奉納する神事で、野馬追の原型をとどめるとされる。

 江戸後期の天保の飢饉(ききん)や太平洋戦争でも続けられ、現在は、7月最終週の土、日、月曜に行われている。

無断転載・複製を禁じます
1263204 0 野馬追と生きる 2020/06/05 05:00:00 2020/06/05 05:00:00 2020/06/05 05:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/06/20200606-OYTAI50004-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

アクセスランキング

新着クーポン

NEW
参考画像
入泉料割引
NEW
参考画像
ご利用料金割引
NEW
参考画像
3080円2464円

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)
ページTOP
読売新聞社の運営するサイト
ヨミダス歴史館
ヨミドクター
発言小町
OTEKOMACHI
元気ニッポン!
未来貢献プロジェクト
The Japan News
YOMIURI BRAND STUDIO
美術展ナビ
教育ネットワーク
活字・文化プロジェクト
よみうり報知写真館
読売新聞社からのお知らせ