原発避難今度は台風

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かつての同僚たちと一緒に撮った写真を手にする辻さん。アルバムは全て泥にまみれ、捨てざるを得なかった(17日、本宮市で)
かつての同僚たちと一緒に撮った写真を手にする辻さん。アルバムは全て泥にまみれ、捨てざるを得なかった(17日、本宮市で)
水浸しになった自宅の後片付けに疲れ、一休みする佐々木さん(16日、本宮市で)
水浸しになった自宅の後片付けに疲れ、一休みする佐々木さん(16日、本宮市で)

 自宅浸水「また居場所が…」

思い出の写真失う

洪水や土砂崩れが相次いだ台風19号では、原発事故の避難者たちも家が浸水し、断水に苦しんでいる。「またこんな目に遭うなんて」。泥だらけになった我が家で途方に暮れている。

 本宮市の辻トキ子さん(77)は、2階建て住宅の1階が水没する被害を受けた。原発事故で浪江町を離れ、各地を転々とした。「ここを最後の地にしよう」。昨秋に自宅を新築し、家族3人で暮らし始めたばかりだった。「また居場所がなくなってしまうかも」。言いしれぬ不安を感じている。

 13日午前1時頃、辻さんは避難指示を知らせるメールのけたたましい着信音で目が覚めた。1階寝室のベッドから片足を床につけると、ヒヤッとする感触があった。すでに浸水が始まり、水かさはあっという間に胸の高さに迫ってきた。同居する夫や長男に声をかけ、2階に駆け上がった。

 原発事故が起きた時は「すぐに帰れるだろう」と財布も持たないまま避難した。県内の親戚の家を4か月ほど回った。事故から半年後、初めて浪江の自宅に戻り、アルバムだけ持ち帰った。夫婦の結婚式、子どもたちの結婚式、孫の入学式や卒業式。両手で抱えきれないほどだった。

 しかし、アルバムは阿武隈川の氾濫で泥水につかってしまった。「何十年分の思い出がなくなっちゃった」。残ったのは額に入れていた写真1枚だけ。浪江で働いていた頃の同僚たちと一緒に撮ったものだ。新しく買いそろえた家具や電化製品も全てダメになった。

 今は片付けをしながら、自宅2階で暮らしている。被災を聞きつけた浪江の友人が、温かい食べ物を届けてくれるのが胸にしみる。「生きているだけでよかったのかな」。そう言い聞かせている。

安住の場所台無し

 佐々木賢一郎さん(80)は原発事故で富岡町から避難し、大玉村の仮設住宅に入った。しかし、狭い部屋での慣れない生活に妻の瑳余子さん(77)が体調を崩してしまった。「ゆとりのある家に住みたい」と2013年秋、本宮市で2階建ての中古住宅を手に入れた。

 12日夜は地区の班長の電話の呼びかけに応じ、車で避難所へ。14日朝に自宅に帰ると、2メートル近くまで浸水した跡があり、駐車場の軽トラックは故障していた。「やっと落ち着いたと思ったのに、まさかこの家も台無しになってしまうなんて。この天災はもう運命だと思って受け入れるしかない」。近所の住民らの手を借りながら、頭にタオルを巻き、黙々と家財道具の片付け作業にあたっていた。

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857312 0 ニュース 2019/10/22 05:00:00 2019/10/22 05:00:00 2019/10/22 05:00:00 浪江での同僚との写真。ほかの思い出は泥にまみれて捨てざるを得なかった(17日、福島県浪江町で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/10/20191022-OYTNI50000-T.jpg?type=thumbnail

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