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    川端康成ゆかりの地数々 悲恋の足跡たどる

    • 川端が鵜飼いを見た長良川と、ゆかりの宿「ホテルパーク」(右端)
      川端が鵜飼いを見た長良川と、ゆかりの宿「ホテルパーク」(右端)

     <岐阜名産の雨傘と提灯ちょうちんを作る家の多い田舎町の澄願寺には、門がなかった>――。ノーベル賞作家の川端康成(1899~1972年)が岐阜を舞台に自らの恋愛を基に書いた短編「篝火かがりび」の冒頭だ。川端が“初恋の人”伊藤初代と交わした書簡は現在、岐阜市の長良川うかいミュージアムで公開されているが、川端と同市との関係はあまり知られていない。川端の悲恋の足跡を、短編小説と書簡からたどってみた。(八木さゆり)

     「篝火」のほぼ全文は、同市が舞台だ。寺から岐阜公園への道中に近道にと<小さい天満宮の境内>、<岐阜駅前から電車で長良川へ行った>とあり、長良橋、金華山、岐阜城も登場。<あ、あの篝火は鵜飼うかい船だ!>と、長良川鵜飼の様子も書かれている。

     東京のカフェで出会った初代に恋した川端は1921年に岐阜を訪れ、寺の養女となった15歳の初代と結婚を約束。その後、ある非常を理由に初代から破談される。この出来事を基に「篝火」「非常」「南方の火」が書かれ、初代が川端に宛てた手紙と重なる部分も多い。

     3編に共通するのは、恋人が暮らす「澄願寺」だ。実際に初代は、JR岐阜駅南口から徒歩数分の所にある「西方寺」にいた。寺から東に数分歩くと、近道で境内を抜けた「加納天満宮」がある。

     「南方の火」には婚約の翌日、2人が記念撮影したとある。撮影したのは旧裁判所(現・岐阜市役所)前にある1875年(明治8年)創業の「瀬古写真館」だ。実際、川端は10月9日、友人と初代の3人で撮影し、その写真は今も現存している。4代目の瀬古安明社長は「当時の記録はないが、背景やポーズから瀬古で撮ったものと思う」と話し、「当時の価格を現在の物価で比較すると、1ショット10万円位の高価なものだった」と教えてくれた。

     同館を紹介したのは長良橋近くの宿屋で、実名で登場する「鍾秀しょうしゅう館」(現・十六銀行の保養所)。川端らを宿で案内した女将おかみ・加藤よし子さんに生前、話を聞いた三木秀生・中部学院大講師は「当時、若い客が少なかったので覚えていたといい、写真屋を紹介してほしいと言われたので、瀬古写真館を紹介したことを話してくれた」という。

     また、長良川をはさみ鍾秀館の対岸で、<南岸の宿>と書かれる「港館(現・ホテルパーク)」は、初めて岐阜に来た川端が、初代と再会した場所だ。

     川端ゆかりの宿として、ホテルパークはロビー一角で、当時の品々や、初代の写真も数点紹介している。知人と見ていた岐阜市の林豊子さん(60)は「川端は伊豆の踊子で有名だが、川端の足跡は伊豆だけではないことを全国に知ってもらいたい」と期待を込める。桜木繁支配人は「若い世代は川端を知らない人が多いが、岐阜にも川端ゆかりの地がたくさんあることを知ってほしい」と話した。

     ■未投函の恋文展示

     長良川うかいミュージアム(岐阜市長良)で開催中の「川端康成『篝火かがりび』をめぐる恋文」で、今年7月に神奈川県鎌倉市の川端宅で存在が明らかになった、恋人の初代に宛てた未投函とうかんの手紙(原本)が来月10日まで、特別展示されている。

     未投函の手紙に日付はないが、「僕が10月の27日に出した手紙見てくれましたか。」と始まり、結婚の約束をした初代から返事が届かないことから、「恋しくって恋しくって、早く会はないと僕は何も手につかない」「手紙が来ないと泣き出すほど気にかかる」と初代へのいとしい気持ちがつづられている。

     同ミュージアムの近藤智美学芸員は「川端の初代への熱い思いと、その後に婚約破棄の手紙を受け取り悲恋に向かう2人の関係に思いをはせて見てほしい」と話している。入場料は15歳以上500円、4~14歳250円。問い合わせは同ミュージアム(058・210・1555)。

    2014年10月24日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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