車いすランナー 田中照代さん 59

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東京パラリンピックでメダル獲得を目指す田中さん(21日、岐阜市で)=岡花拓也撮影
東京パラリンピックでメダル獲得を目指す田中さん(21日、岐阜市で)=岡花拓也撮影

◆2020へ「負けん気」健在

 車いすの陸上競技選手として、走り続けること30年余り。パラリンピックに4度出場し、計五つのメダルを獲得した。今も厳しいトレーニングと向かい合い、61歳で迎える2020年東京パラリンピックの表彰台を目指している。「若い子たちに負けていられないからね」と笑みをこぼす。

 「子供の頃から走るのが大好きで、負けず嫌いだった」。中学校では陸上クラブに入り、走り高跳びや走り幅跳びなどの競技に没頭したが、2年生の時、下校中に車にはねられて頸椎けいついを損傷、手足に麻痺まひが残った。

 高校卒業後、懸命なリハビリを経て、名古屋の百貨店で働き始めるが、入社1年目のスポーツ中に再度、頸椎を痛めてしまい、車いす生活に。20歳代後半から車いす陸上を始め、運動の楽しさを思い出し、のめり込んだ。

 公共の練習場を借りようとしても、断られることが多かったが、「自分に負けたくない。私にはこれしかない」と、腐らなかった。陸上トラックの代わりに、車道を走るなど猛練習。遠征費は自らスポンサーを募り、国内外の大会で実戦経験を積み上げた。

 努力は成果に表れた。1994年にドイツで開かれた世界大会で、800メートルの障害に応じたクラスで世界新記録(当時)で優勝した。

 96年のアトランタパラリンピックで金メダル。2000年のシドニーでは3種目で銀メダル、08年の北京では銅メダルを獲得した。功績が認められ、厚生労働大臣表彰や岐阜県民栄誉賞など多数の受賞歴がある。今は名古屋市に住み、三重県鈴鹿市に練習の拠点を置いている。

 ベテランになり、対戦相手のほとんどが年下だ。若手の台頭を感じるが、「体が衰えても、テクニックでは勝てる」と自信を見せる。トラックでの練習に加え、「もっと進化しなければ」と、自宅で日々のウェートトレーニングも欠かさない。今年10月にジャカルタであったアジア大会で優勝し、実力を証明した。現役引退について、「今は考えていないし、走れるうちはずっと走っていたい」と、情熱が冷める様子はない。

 東京パラリンピックの開催で、障害者への理解や思いやりが、国民の間に広がることを望んでいる。「駐車場の障害者用スペースに、体が不自由ではない人が車を止めている光景を目にすると、残念な気持ちになる。日本はまだまだ、障害者への気遣いの意識が鈍い」

 その一方で、障害者アスリートに対して、国や大会組織委員会などが行う金銭面や練習環境のサポートは、手厚くなったと感じる。国内大会の観客も徐々に増えてきた。「東京では、満員のお客さんに応援されながら走りたい」と、声を弾ませた。(岡花拓也)

◇土岐市出身。多治見西高校(多治見市)卒業後、国立障害者リハビリテーションセンター(埼玉県所沢市)を経て就職した。夫と2人暮らしで、日課は愛犬・アルとの散歩。筋力トレーニングのため、県スポーツ科学センター(岐阜市)に週1度ほど訪れている。

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54311 0 ひゅーまん岐阜 2018/12/17 05:00:00 2018/12/17 05:00:00 東京パラリンピックでメダル獲得を目指す田中さん(21日、岐阜市で)=岡花拓也撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20181216-OYTAI50001-T.jpg?type=thumbnail

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