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山伏の魅力 SNSで発信…大福院住職・山伏 小野関隆香さん(22)

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「鈴懸」をまとう小野関さん(榛東村の大福院で)
「鈴懸」をまとう小野関さん(榛東村の大福院で)

 田畑に雑木林と民家が点在する中に、かやぶき屋根のお堂がひっそりとたたずむ。900年近くの歴史を持つ寺院「大福院」(榛東村)だ。この住職を務めながら、県内最年少の女性山伏として修行を続けている。講演のほか、現代の若者らしく、動画サイトやSNSを駆使して山伏や郷土史の魅力を発信している。

 サラリーマン家庭で育ったが、高校1年のときの親戚の葬儀が進路に大きく影響した。目にしたのは、黒い袈裟けさの僧侶ではなく、鮮やかな黄色の衣装「鈴懸すずかけ」をまとい、ホラ貝の音を響かせる大福院の先代住職・隆稔りゅうねんさんの姿だった。山伏伝統の儀式だった。神々しい姿に感動を覚えた。

 山伏の家系にいることを再認識し、向き合っていく道を選びたいと思った。隆稔さんとの相談の末、高校卒業後に修験道の本山派総本山「聖護院」(京都市)への修行を決意した。

 2年間の修行は過酷で、離脱する者も多い。「若い女の子なんて続かない」。山伏の道を追求する前に、周囲からの声に反発を覚え、修行にしがみついた。

 2017年秋、吉野(奈良県)から熊野(和歌山県)までの険しい山を5泊6日での縦走に挑んだ。「大峯奥駈おおみねおくがけ」と呼ばれる修行だ。山の中で自然と融合し、山伏への道筋が見えてきた。足の爪がはがれていたのに気づいたのは、なんとか完遂した後だった。さらに数々の苦行に挑み、懐疑的に見ていた人も徐々に認めてくれるようになっていった。

 19年3月に帰郷し、跡継ぎのいなかった大福院の養子に入った。ただ、檀家だんかがおらず、地鎮祭など地元の祈願行事を執り行うことで成り立ってきた大福院は存続の危機に直面していた。時代の流れで地域との結びつきは薄れていたからだ。

 起死回生の一手を模索する中で始めたのが、SNSだった。「ツイッターはじめました #山伏……」。プロフィルを記載し、同年6月に、こんな言葉を記した。翌月には早くも興味を示した人から講話の依頼が来た。地域の風習について、歴史書を読んだり、地元の人から教わったりするだけでなく、山伏としての視点を加えて披露した。

 講話は好評で、その後も依頼は続いている。ほかのSNSでも山伏の日常を積極的に投稿し、若者の興味を引きつける。「地元での地道なつながりと、世界を相手にしたつながりの双方の『縁』に支えられている」と手応えを感じている。

 昨年12月、先代の隆稔さんが69歳で亡くなった。突然の死にショックを受けたが、僧侶としての仕事が残っていた。鈴懸をまとって葬儀を執り行い、戒名を授けた。一心不乱だったが、落ち着いて振り返ると、恩返しができた気がした。

 そして現在、寺には一人きりだ。「群馬の風習には山伏信仰の影響が色濃く残っている。風習を人に伝える役割を担っている大福院を、かつてのように人が集まる場所にしたい」。先代はじめ、脈々と寺を守ってきた人々の責任を受け継ぎながら、時代に合った方法を模索している。(原新)

 ◆おのぜき・りゅうか…1998年9月生まれ。榛東村在住。県立前橋西高卒業後の2017年4月から2年間、修験道を学んだ後、大福院先代住職の養子になる。21年3月から同院住職。郷土史や民俗研究に取り組みながら県内を中心に講演会を開くほか、SNSや動画投稿サイト「ユーチューブ」で発信している。

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2108416 0 クローズアップ 2021/06/06 05:00:00 2021/06/06 05:00:00 2021/06/06 05:00:00 山伏を目指すきっかけにもなった「鈴懸」をまとう小野関さん(22日午前9時57分、榛東村広馬場の「大福院」で)=原新撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/06/20210607-OYTAI50008-T.jpg?type=thumbnail

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