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「台湾紅茶の父」の功績、学び楽しみ振り返る…群馬・沼田出身 新井耕吉郎

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台湾から寄贈された新井耕吉郎の胸像(手前)と記念碑(沼田市利根町園原で)
台湾から寄贈された新井耕吉郎の胸像(手前)と記念碑(沼田市利根町園原で)
台湾紅茶の魅力を語る平野さん(中央)(19日、前橋市で)
台湾紅茶の魅力を語る平野さん(中央)(19日、前橋市で)
新井耕吉郎ゆかりの紅玉紅茶
新井耕吉郎ゆかりの紅玉紅茶

命日に前橋でセミナー

 「台湾紅茶の父」と称される利根郡東村(現沼田市)出身の農業技師、新井耕吉郎(1904~46年)の命日にあたる19日、前橋市のカフェで、功績を振り返り、台湾紅茶の歴史と楽しみ方を学ぶセミナーが始まった。毎月の開催予定で、初回は台湾で紅茶などの取材を続けている作家の平野久美子さんが講演した。

 新井が日本統治時代の台湾で紅茶の栽培に目をつけたのは1920年代後半。台湾総督府中央研究所に勤務し、台湾中央部の 日月潭につげつたん 湖畔にある盆地「魚池郷」が、寒暖の差が大きい気象条件などから栽培に適していると判断。インド産アッサムなどと台湾の原種を交配させて製品化に成功した。

 戦後も技術指導でしばらく残り、紅茶は「渋味を抑えたまろやかな味」として知られるようになった。日本や欧米にも輸出されるようになったが、70年代に粗悪品が出回り、80年代には市場から姿を消してしまう。

 復活の契機は、99年の台湾大地震だった。甚大な被害が生じた魚池郷で、台湾当局が音頭を取り、復興策として紅茶生産を再開した。台湾を代表する「紅玉紅茶」が再び高い評価を得る中で、ゆかりのある新井が脚光を浴びるようになった。

 現地には台湾の実業家によって胸像が建てられ、日本にも贈られた。この胸像は2009年、親族らが沼田市利根町園原に記念碑と並べて設置した。

 一方で、県内では新井の功績は広く知られていない。台湾で活躍した群馬県人を研究している群馬地域学研究所代表理事の手島仁さん(61)が周知を模索する中でセミナーの開催に至った。結婚式場などを経営する萩原隆史さん(40)が呼応し「台湾紅茶を楽しみながら群馬の偉人に思いをはせる場にしたい」と企画した。

 初回のこの日は、新井をしのんで参加者が黙とうした。講演で、平野さんがタンニンやカフェインが少なくストレートでも飲める台湾紅茶の特徴や歴史を紹介。「お茶は五感を研ぎ澄ませ、人の心を開いてくれる」と語り、参加者らと紅玉紅茶を楽しんだ。

 新井の孫にあたる桜井昌幸さん(56)も参加し、「祖父のことを多くの人に知ってもらえるとうれしい」と話している。

 次回は7月10日午後2時~3時半、手島さんが講演する。定員30人。参加費はデザートと台湾紅茶付きで3500円。問い合わせは、前橋市小相木町のアメイジンググレイスカフェ(027・210・7722)へ。

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2138932 0 ニュース 2021/06/20 05:00:00 2021/06/20 05:00:00 2021/06/20 05:00:00 台湾から寄贈された新井耕吉郎の胸像(手前)と記念碑(6月17日午前10時7分、沼田市利根町園原で)=石川祐司撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/06/20210619-OYTNI50029-T.jpg?type=thumbnail

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