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    <上>待ちわびた希望の鉄路

    ◇江の川沿い断崖 工事難航

    • 三上さんが山の上から撮った完成間近の口羽駅
      三上さんが山の上から撮った完成間近の口羽駅
    • 口羽駅付近の工事現場(昭和30年代、三上さん撮影)
      口羽駅付近の工事現場(昭和30年代、三上さん撮影)
    • 自宅前に積もる雪を見ながら、三江線が延伸した当時を振り返る三上さん(島根県邑南町下口羽で)
      自宅前に積もる雪を見ながら、三江線が延伸した当時を振り返る三上さん(島根県邑南町下口羽で)

     「駅の形が整ってきて、これで閉じ込められることはないとうれしかった」。島根県邑南町下口羽の三上茂さん(80)は振り返る。1963年(昭和38年)、当時の羽須美村に正式採用され、希望に燃える三上さんは近くの山に登り、6月に三次までつながる口羽駅の、完成直前の姿をカメラに収めた。

     その年の1月、「38豪雪」と呼ばれる未曽有の災害に日本全国が襲われ、島根、広島県境の羽須美村も例外ではなかった。大雪に村全体が閉ざされ、生活物資も届かず、孤立した。

     「実はあの時から村を出る人は後を絶たなかったんです」。過酷な豪雪体験に村の生活を諦め、一家で転居する人は多かった。だからこそ、三江線が地域を救ってくれると信じた。

     大半が戦前に敷設されていた島根県側に比べ、広島県側の建設は遅々として進まなかった。55年に三次―式敷(現・安芸高田市)間がようやく開通したが、その後、江の川のダム計画が浮上し、全線開通そのものが危うくなった。口羽駅の計画地周辺もダム湖に沈むことになる。

     三上さんは当時の運輸大臣が小学校に来た時、ダム反対を陳情する住民とともに駆けつけた。結局、ダム計画は破棄されたが、江の川沿いの断崖を走る三江線の工事は難航を極めた。

     三次からの最終駅だった口羽駅が、山陰側の浜原駅(現・島根県美郷町)までつながり、全線開通するのはさらに12年後の1975年だった。

     村は広島とのつながりが強く、買い物や通学でも三次に通い、始発でも座れないほどだった。2004年10月、合併して邑南町になるのを機に、村の収入役を辞した三上さんは「三江線は確かに過疎化の速度を緩めてくれた」と話す。だが今、旧村地区の人口は1500人を切り、合併時の4分の3だ。

     「廃線になってしまってどうなるのか。過疎化はさらに進んでしまう」。雪に埋まった自宅周辺の景色を見ながら、三上さんは不安を隠さなかった。

    2018年02月11日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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