<4>同じ市民 共に歩んで
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◇広島市中国帰国者の会 劉計林代表に聞く
◇なお残る偏見 まず理解を
中国残留邦人やその家族らによる「広島市中国帰国者の会」は、広島市中区の基町地区を拠点に活動している。劉計林代表(61)に、活動内容や残留邦人が抱える悩みについて聞いた。
――会の活動について。
現在、約170人の会員がおり、そのうち活動に参加している1世は40人くらいいます。主に市中央公民館で日本語学習のほか、太極拳や料理、舞踊などの教室を開いて、帰国者たちが心身ともに心地よく過ごせるように努めています。
――抱える悩みは。
2008年に支援法が変わり、1世は以前より安心して生活できるようになりました。それでも、日本語が話せない人にとって病院や老人ホーム、デイサービスなどでコミュニケーションの壁は依然として大きいです。
悩みは1世だけではなく、2世にもあります。1990年代以降、遅くに帰国した2世は1世と同じく日本語ができない人が多く、仕事も見つかりません。多くは50~60歳代になりましたが、1世と違って年金など国の支援もありません。
――差別や偏見もある。
1世は中国での生活が長く、ゴミの捨て方やあいさつなど、生活習慣の違いから、周辺住民とトラブルになることがあります。数年前には、市営基町アパートの掲示板に「中国村」「出て行け」といった内容の落書きが見つかり、胸が痛みました。平和都市の広島で、こういう差別や偏見があってはいけないはずです。
広島は原爆被害について知られています。しかし被爆者も残留邦人も、同じ戦争の被害者です。国策に従って苦しんだ残留邦人が、帰国後も苦しんでいるのは悲しいことです。
――将来や今後について。
まずは帰国者のことを理解してもらいたい。特に若い人たちは残留邦人の苦難の歴史をほとんど知りません。私たちは未来に向かって日中友好の懸け橋となり、もうあのような悲劇のない世の中を作りたいのです。
毎年、旧正月には交流行事を開いています。今年は200人以上が参加し、地域の方々ら約70人を招待しました。交流を通して帰国者の活動を知ってもらい、同じ広島市民として、共に前向きに歩んでいければと思っています。
(おわり。山上高弘が担当しました)
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◇知るべき歴史・存在 ――取材を終え
被爆地・広島では原爆に関する話題が多い。私も戦争について考えてきたつもりだったが、中国残留邦人が抱える問題については不勉強だった。国策で海を渡り、置き去りにされ、家族を亡くし、帰国後も苦難を背負い続ける人たち。取材を重ねるうち、日本人と中国人のはざまで生きることを強いられた存在なくして、戦争を語ることはできないと思うようになった。
世界では今も人種差別があり、排外主義も強まりつつある。それを取り上げ、批判する人は多い。一方で、身近に住む残留邦人に、私たちはどれほどの関心を持ってきただろう。
「戦争は家族バラバラにする。同じこと起きないように、これからも伝えます」。白島小で、残留邦人の川添瑞江さん(79)が子どもたちに自らの人生を語った後、私に話してくれた。その言葉が今も胸に突き刺さる。