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伏見城から移築 格式高く

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福山城 伏見櫓

特別公開された内部。部材は伏見城から解体して移築された=2020年11月撮影
特別公開された内部。部材は伏見城から解体して移築された=2020年11月撮影
福山城の伏見櫓
福山城の伏見櫓

 福山城(福山市)の南側から石段を上ると、目の前に伏見やぐらの威容が現れる。1622年の築城当時から城内に現存する数少ない建築物だ。

 元は豊臣秀吉が京都に設けた伏見城にあった。初代福山藩主の水野勝成が福山城を築く際に徳川家から下賜され、他の櫓や門などと共に移築されたと伝わる。

 屋根が三重の入り母屋造りで、本丸の南西隅に設けられた。1、2階は同じ規模の長方形で、その上に小さめで真四角に近い形の3階が載る初期の天守建築と似た構造になっている。

 城郭建築研究の第一人者、三浦正幸・広島大名誉教授は、伏見櫓の壁の外観は柱の形が浮き出た「真壁しんかべ」という古い様式で、他の城の三重天守よりも大型であることなどに注目。「全国に現存する櫓の中でも圧倒的に格式が高く、様式も古い。豊臣家から受け継がれた政権の正統性を表し、周辺の外様大名をけん制した」と指摘する。

 1954年、伏見櫓の解体修理が行われ、内部のはりに「松ノ丸ノ東やぐら」と刻まれているのが発見された。松ノ丸は伏見城の北東にあった区画で、伏見城から移築されたとの伝承が裏付けられた。

 三浦名誉教授は「国内に伏見城からの移築とされる建築は他にもあるが、確実なのはこの伏見櫓だけ。日本の城郭史上、大変重要な建築物です」と評価する。

       ◎

 天守を始め福山城の多くの建物は45年の空襲で焼失した。焼け残った伏見櫓とその脇の筋鉄御門すじがねごもんは国重要文化財に指定されており、貴重な観光資源にもなっている。

 福山城を愛好する住民らでつくる福山城博物館友の会は15年ほど前にボランティアガイド部会を結成し、事前予約の観光客向けにガイドツアーを始めた。2017年からは春と秋の土日祝日に随時ツアーを催す。伏見櫓は欠かせない見所で、ここを目当てに参加する歴史ファンもいるという。

 伏見櫓は07年から年に1度、文化の日(11月3日)に内部が特別公開されることになった。毎年1000人以上が訪れ、この時も案内役としてボランティアガイドが活躍する。

 ガイドの一人で、友の会会長を務める檀上幸久さん(71)(福山市松永町)は「文化財を間近で見学すれば、長い歴史や文化の大切さを実感してもらえる。戦火をくぐり抜け、奇跡的に残った伏見櫓は福山の宝物です」と力を込めた。

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1840655 0 New門 2021/02/14 05:00:00 2021/02/14 05:00:00 2021/02/14 05:00:00 文化の日に公開された伏見櫓の内部。部材は伏見城から解体して移築された=2020年11月撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/02/20210213-OYTAI50027-T.jpg?type=thumbnail

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