伏見城から移築 格式高く
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福山城 伏見櫓


福山城(福山市)の南側から石段を上ると、目の前に伏見
元は豊臣秀吉が京都に設けた伏見城にあった。初代福山藩主の水野勝成が福山城を築く際に徳川家から下賜され、他の櫓や門などと共に移築されたと伝わる。
屋根が三重の入り母屋造りで、本丸の南西隅に設けられた。1、2階は同じ規模の長方形で、その上に小さめで真四角に近い形の3階が載る初期の天守建築と似た構造になっている。
城郭建築研究の第一人者、三浦正幸・広島大名誉教授は、伏見櫓の壁の外観は柱の形が浮き出た「
1954年、伏見櫓の解体修理が行われ、内部の
三浦名誉教授は「国内に伏見城からの移築とされる建築は他にもあるが、確実なのはこの伏見櫓だけ。日本の城郭史上、大変重要な建築物です」と評価する。
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天守を始め福山城の多くの建物は45年の空襲で焼失した。焼け残った伏見櫓とその脇の
福山城を愛好する住民らでつくる福山城博物館友の会は15年ほど前にボランティアガイド部会を結成し、事前予約の観光客向けにガイドツアーを始めた。2017年からは春と秋の土日祝日に随時ツアーを催す。伏見櫓は欠かせない見所で、ここを目当てに参加する歴史ファンもいるという。
伏見櫓は07年から年に1度、文化の日(11月3日)に内部が特別公開されることになった。毎年1000人以上が訪れ、この時も案内役としてボランティアガイドが活躍する。
ガイドの一人で、友の会会長を務める檀上幸久さん(71)(福山市松永町)は「文化財を間近で見学すれば、長い歴史や文化の大切さを実感してもらえる。戦火をくぐり抜け、奇跡的に残った伏見櫓は福山の宝物です」と力を込めた。