<544>語りたい 伝えたい 読売新聞×広テレ

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被爆後、ただれた両手を上げて逃げた時の様子を語る長尾さん(広島市中区で)
被爆後、ただれた両手を上げて逃げた時の様子を語る長尾さん(広島市中区で)

森英恵さんに促され被爆証言を始めた 長尾ナツミさん 91(広島市中区)<上>

「話す義務」恩師の一言

 もう20年近く前、東京の店で働かせてもらってお世話になった(世界的なデザイナーの)森英恵先生が講演で広島に来られた。終わってから久しぶりにお会いすると、何を思い出したのか、今まで言ったこともないことを急に聞いてきたの。

 「あんた、原爆の話してるの?」って。

 「そんなのしないですよ、先生。悲しくなって、できないです。涙が出てしまうから」と返すと、「なに言ってるの、してあげなさいよ。するべきよ。あなたの義務よ」。私は「絶対に嫌です。よく言いますね」と譲らなかった。先生は被爆していないから何でも言えるんだと腹が立って、もうケンカよ。そのまま空港まで送って、別れてしまったの。

 14歳で被爆し、顔や腕にケロイドを負って散々苦しんだし、兄ら身内もたくさん失った。思い出すのも嫌。「絶対、話さない」と決めていた。でも、なぜか森先生の言葉が引っかかったの。

 あの惨禍で私は生き残った。犠牲になった同世代のことを思い、「一度きりの人生をしっかり生きよう」と仕事一筋で生き抜いてきたけど、70歳もすぎた。このまま胸にしまっておいていいのか。考えに考えて、原爆の本当のことを知ってもらうため、自分も話すべきだと思った。半年たった頃、広島平和記念資料館の副館長に相談すると、「ぜひお願いしたい」と言われ、語り部になったの。

 最初は証言中に胸がいっぱいになって、涙が止まらなかった。そりゃ悲しいわよ。娘時代に顔や腕にやけどを負ったんだから。

 小学校まで戸河内で暮らした後、広島市内に出て(当時は爆心地から約1・5キロにあった)進徳高等女学校(現・進徳女子高)に入った。

 あの朝、(空襲時の延焼防止で建物を撤去しておく)建物疎開の作業に行くために校庭にいたら、正面からバーと光を浴びて手をかざした。爆風で吹き飛ばされたらしく、気付いた時には、煙越しに校庭に倒れた友だちや先生、がれきになった校舎が見えた。「逃げなさい」と先生の声が聞こえ、がれきからは「助けて」という声が漏れていたけど、逃げるしかなかった。大人になってからも、それはずっと後悔したわ。

 避難先の比治山から段原国民学校(現・広島市立段原小)に移動することになり、ゾロゾロと山を下りた。途中、右手が何かおかしい。左手も同じで、両方の腕を見てびっくり。皮膚が全部、はげてしまって、ずるずると垂れ下がっているじゃない。着くまで、ずっと両手を上げっぱなし。痛いとか怖いとかいうより、とにかく逃げなきゃと必死だった。

 学校の講堂に着いて、まあ驚いた。1週間も10日も生きられないような 瀕死ひんし の人ばかり。イワシを焼いたような独特な臭いがして、目がこぼれ出た人もいた。「これが人間なのか」とショックで座り込んで、泣いてしまった。ほんとに悲しかった。

(つづく)

ながお・なつみ

 戸河内町(現・安芸太田町)出身。尾道の洋裁学校や広島市内のドレスメーカーで修業し、東京の服飾学校でも2年学んだ。語学留学先のパリでデザイナー森英恵さんに出会い、帰国後はアシスタントとして長年働く。41歳で広島に戻り、三越で70歳すぎまでデザイナーを務めた。

◇長尾さんを広島テレビ放送が取材・制作した動画はこちら

「語りたい伝えたいヒロシマ」が広島テレビとの共同プロジェクトとして再出発します。同じ人物にそれぞれが取材し、被爆者らの証言を記事と映像で伝えます。広島テレビは夕方のニュース情報番組「テレビ派」で放映し、長尾さんの回は8日の予定です。短縮版の動画は放映後、読売新聞オンラインで視聴できます。

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