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1歳だった妹を失い、放射線の恐ろしさを伝える 大越 和郎さん 81 (広島市西区)

閃光、轟音 のち「黒い雨」

原爆投下当時を振り返る大越さん(広島市で)
原爆投下当時を振り返る大越さん(広島市で)

 空がピカッと光ると、辺りが真っ白になった。映像が消えてモノの形や色がなくなったと思った瞬間、バーンと聞いたことのない大きな音が響き渡った。当時5歳の私は、3歳の妹と一緒に近くの田んぼへイナゴを取りに行き、自宅の庭先まで戻ってきたところだった。

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 妹は 閃光せんこう轟音ごうおん に驚き、泣き叫びながら家の中へ駆け込み、母の腰に飛びついた。空を見上げると、きのこ雲が大きく広がっていき、上空から手紙やお札などが飛んできて、周囲が騒ぎ出した。家の中は爆風でふすまや障子がひっくり返り、草 きの屋根が吹き飛ばされていた。

 暗い空からは「黒い雨」が降り出した。豪雨のような激しい雨で、40分ほど降っていたかな。母は、「雨に毒が入っているかもしれん」と言って、庭で立っていた私を慌てて家の中に入れた。

 今思えば、雨の中には放射性物質が含まれていたと思う。小川や池には、死んだ魚が浮いていた。雨が降っても帰宅せず農作業を続けていた人は、全身真っ黒になったそうだ。

 母と一緒にいた1歳半の妹は原爆が落ちた約3週間後に突然高熱を出して、亡くなった。当時は栄養失調だと考えていたが、放射線の影響だったかもしれない。死因は結局不明のままだ。

 妹が亡くなる前だったか、村の仲間で助け合おうと、私は母とともに避難所の小学校や寺に、布団や古着、食べ物を持って訪ねた。すると、そこにいたのは、焼け焦げた服を着た、皮の垂れ下がった人たち。重いやけどで、性別さえ分からなかった。想像をはるかに超えた光景に、恐怖を通り越して何も感じなかった。

 山の中腹には、臨時で遺体の火葬場が作られ、毎日煙が上がっていたのを覚えている。その煙を見て大人たちは「今日は、焼く数が多いね」と話していた。今思うと、恐ろしい会話だったけど、当時は当たり前の日常だったな。

       ◇

 今は、訪ねてくる修学旅行生などに原爆に遭った悲惨な経験を証言している。一番印象に残っているのは、東京電力福島第一原発事故で被災し、福島県から避難してきた女子中学生からの質問だ。

 「放射線を浴びた私でも、無事に子どもを産めますか。お母さんになれますか」と聞かれた。何と答えたら良いか分からなかった。ただ、「広島も原爆が落ちて焼け野原になったけど、皆で命をつないできた。あなたも心配をせず、命を大事に生きてほしい」と伝えた。子どもにこんなむごい質問をさせるなんて、改めて放射線の恐ろしさを痛感した。

 私は約80年間、大きな健康不安に悩むことなく元気に過ごしてきたが、同世代では早死にした人もいる。原爆投下時、広島にいた人はそれぞれが様々な体験をしているので、若い人たちにはぜひ、たくさんの人の証言に耳を傾けてほしい。(聞き手・岡田優香)

 おおこし・かずお

 1940年、広島市安佐南区戸山地区生まれ。戦後、広島大を経て、民主商工会で定年まで勤務。現在は県被団協(佐久間邦彦理事長)の事務局長を務め、修学旅行生に被爆証言活動を続けている。

 大越さんを広島テレビ放送が取材・制作した動画はこちら

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2663836 0 ニュース 2022/01/11 05:00:00 2022/01/21 19:18:42 2022/01/21 19:18:42 https://www.yomiuri.co.jp/media/2022/01/20220111-OYTNI50007-T.jpg?type=thumbnail

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