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2月26日に宗谷岬を出発し、北海道
野村さんは大阪府出身。北海道大に進学し、「北海道らしいことをしてみたい」とワンダーフォーゲル部に入部。本格的な登山は初めてだったが、すぐその魅力に取りつかれた。
今回の挑戦のきっかけとなったのは、登山家志水哲也さんが1992年、12回に分けて分水嶺全山縦走を成し遂げた記録「果てしなき山稜」と出会ったことだった。しかし、補給や休養などのため、下界で過ごす時間の長さが気になった。
それだけに、志水さんより先に分水嶺を17年かけて踏破した先駆者、工藤英一さんの著書「北の分水嶺を歩く」の言葉が刺激になった。「『完全単独ワンシーズン』であれば、極地の単独歩行横断に匹敵する……。若き岳人に期待している」
2019年冬に知床連山と日高山脈の全山縦走に成功していた野村さんは、翌年3月末、襟裳岬から北上するルートで決行。途中で補給などのサポートを受けない完全単独行とするため、食料はあらかじめルート上の2か所の避難小屋に運んでおいた。しかし、10日間歩いただけで計画に無理があると気づき、潔く下山。戦略を練り直して、今回の再チャレンジとなった。
変更点は、〈1〉時期を早めて宗谷岬から出発〈2〉食料の保管場所を増やし、荷物を軽くする〈3〉日高山脈の手前まではスキー、それ以後はスノーシューとする――など。それでも背負う荷物は40キロを超え、1日に歩く距離は平均10キロを超えた。
命の危険を感じたのは、北見峠手前のチトカニウシ山での暴風雪。「予報以上の大荒れで風速は40メートルに達した。あれがあと30分続いていたら危なかった」と振り返る。その先の武利岳の岩稜も「相当びびった」と苦笑いした。
ほかにも、ストックが折れたり、テントのポールを滑り落としたりといったアクシデントがあったが、スキー場のリフトが頂上まで通じている佐幌岳の避難小屋に装備を届けてもらうことで事なきを得た。
もちろん苦しいことばかりではない。大雪山系の沼ノ原で快晴に恵まれた時は前後に純白の石狩岳とトムラウシ山が見え、目を見張った。「こういう時間があるから山はやめられない」と心底思ったという。
旅を終えて、ひと月。野村さんは振り返る。「山に強くなりたいと思って出発したけど、足りないことばかり見つかり、かえって弱さを知ることになった。でも、こういう経験を経て強くなれるのかな、とも思う。自分一人でやろうと思ったけれど、支えてくれる人がいるというありがたみを改めて実感しました」
次のチャレンジについては「妄想はあるけど、まだ人に言える段階では」と口ごもる。まずはガイドの仕事にまい進するつもりだ。