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「北前船」【10】放生津(富山県射水市)

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回船問屋 民泊施設に

漁船が停泊する内川。沖の北前船から小舟を使い、川沿いの蔵に荷を運んだ(6日、射水市で。小型無人機から)=樋口理八撮影
漁船が停泊する内川。沖の北前船から小舟を使い、川沿いの蔵に荷を運んだ(6日、射水市で。小型無人機から)=樋口理八撮影

 漁船が停泊する川の両岸に、レトロな家並みが連なる射水市新湊地区の内川周辺。景色の美しさから「日本のベニス」と呼ばれる観光スポットだが、江戸時代から明治にかけては越中屈指の北前船寄港地、放生津(ほうじょうづ)として栄えた。

 同市新湊博物館の松山充宏主任学芸員は「鎌倉時代以降、絶えることなく続く港湾都市。長い歴史の一時期が、北前船の時代だった」と説明する。

 内川に近い放生津八幡宮には、北前船がもたらした昆布を描いた珍しい絵馬があると聞き、足を運んだ。大伴泰史宮司(56)に案内され、拝殿の絵馬を見て驚いた。荒波の上に浮かぶヒョウタンに仙人のような男が乗り、昆布と桃を手にしている不思議な絵柄だった。

 「幕末の頃、地元船主が奉納した。ヒョウタンは水に沈まないので、海の安全を願った絵馬です」と大伴宮司が笑顔で話す。昆布と桃は長寿の象徴とされ、船主が当時は貴重だった昆布を仕入れて財を成したことも、奉納の理由なのだろう。

 当時の北前船は、大型トラック数台分の積載量があって接岸できなかったため、沖に停泊した後、小舟に荷を積み替え、内川沿いの蔵まで運ばせた。ただ、こうした蔵や船主の住宅は、江戸時代の火災や、その後の建て替えなどで今ではほとんど姿をとどめていない。

民泊施設として活用が始まった旧渡辺家(射水市で)
民泊施設として活用が始まった旧渡辺家(射水市で)

 こうした状況に危機感を抱いた地元関係者は今年3月、内川沿いの回船問屋だった「旧渡辺家」を改修し、民泊施設「内川の家 奈呉(なご)」の営業を始めた。

 内川を活用した町おこしに取り組むNPO法人「水辺のまち新湊」が土地と建物を購入し、高岡市の住宅関連会社が運営を担当。旧家の趣が残るロビーが観光客らを出迎える。スタッフの荒木知佳さんは「心の充電ができる癒やしの空間にしたい」と話す。

 9月上旬、3部屋あるうちの「雪の間」に泊まってみた。夜間はひっそりと静かで、風の匂いから近くに海と川があると感じるせいか、穏やかな気持ちで眠れた。朝に目覚めて、富山湾のそばまで出てみると、北前船がかつて行き交った海がいっそう身近に思えた。(福浦則和、おわり)

     ◇

 小型無人機で空撮した動画を、読売新聞北陸支社のツイッター、フェイスブックで公開しています。

関連動画:「北前船」放生津(ほうじょうづ)の動画は、こちらからご覧になれます。

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1150774 1 北陸大紀行 2020/04/10 05:00:00 2020/04/10 12:51:38 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/03/20200324-OYTAI50002-T.jpg?type=thumbnail

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