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    <西宮・名塩和紙>等伯、光琳 色あせず

    • 「溜め漉き」で名塩和紙を漉く谷野さん(西宮市名塩で)
      「溜め漉き」で名塩和紙を漉く谷野さん(西宮市名塩で)

     安土桃山時代の絵師長谷川等伯(1539~1610年)から、戦後日本の洋画壇に君臨した梅原龍三郎(1888~1986年)まで幾多の画家をとりこにしてきた紙が、西宮市北部の名塩地区にある。

     「名塩和紙」。400年以上の歴史を誇り、巨匠たちがこの上に筆を走らせた。等伯や尾形光琳(1658~1716年)は屏風びょうぶ絵やふすま絵を描き、梅原は滑らかさと発色の良さを愛し、傑作を生んできた。

     他の和紙と隔絶した存在にしているのは、時間の経過による変色がないことだ。雁皮がんぴを水に溶かした紙料液にアルカリ性の泥土を混ぜることにより、変色の原因となる酸化を防ぎ、虫にも食われにくくなるという。

     「世界中を探しても、名塩和紙に取って代わる紙はないでしょう」。人間国宝の谷野武信さん(79)は胸を張る。名塩和紙学習館では、京都・二条城のふすま絵が写真で紹介されている。城などの修復を支えている事実が、谷野さんの言葉を裏付ける。

     起源は諸説ある。室町時代の僧・蓮如が村を訪れた際、同行した職人が村人を指導した、慶長年間に弥右衛門という人物が和紙の産地・越前(福井県)で修業した……。いずれにせよ、山間部のこの地区は水田が少なく、雁皮が自生していることもあって、製紙業が広まったらしい。

     紙料液を「簀桁すけた」ですくう。簀の上で繊維が均一に広がるよう、谷野さんは素早く左右に揺すった後、水がしたたり落ちるのを待つ。1枚あたり約3分。「き」という、より古い時代の製造法で名塩和紙は作られている。乾燥後は布をかけ、丹念にブラシをかけて表面を滑らかにする。

     そして、製紙技術の高さが普及を後押しした。4種類の泥を使い分けて青、黄、茶、白茶、白の5色の紙を漉く。泥の入った独特の紙質や、藍を加えて波形模様をつける技法は「偽造防止にうってつけ」と、江戸~明治時代に西日本の諸藩がお札「藩札」に名塩和紙を採用した。

     江戸時代に「名塩千軒」と称され、製紙場は昭和初期でも100軒以上あったという。今も続けるのは、谷野さんを含めて2軒だけになった。歴史的建造物や美術品の修復に重宝され、米国の美術館からも注文がある名塩和紙。「技術を未来に受け継いでいく」。谷野さんの次男、雅信さん(44)は誓う。

    (藤本幸大)

    ◆ 

     名塩和紙学習館は、有料の紙漉き実習を行っている。問い合わせは同館(0797・61・0880)。

    2014年06月10日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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