過労死「ふつー」でない
完了しました
消えた若者の未来
中西千尋


「ふつーに働いて、ふつーに遊びに行って、ふつーに生活したい」
こうブログにつづっていた若者の命の灯が消えた。15年前の、1月26日のことだ。
勤務先だったIT関連会社の、ある日のタイムカードには印字されていた。「出勤9時、退勤32時30分、出勤9時」
夜通し働いて、午前8時半に退社し、その30分後に勤務再開。「ふつー」が欲しくて欲しくて、たまらなかったのだろうと思う。
彼はシステムエンジニアとして働く中でうつ病を発症し、治療薬を過剰摂取して亡くなった。27歳。その5年後の2011年、裁判でようやく認められた。「過労死」と――。
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昨年秋、神戸市内で開かれた「兵庫過労死を考える家族の会」の例会を取材で訪ねた際、彼の母で、同会代表の西垣
「和哉は仕事が嫌だったわけではない。好きで、得意で、望んで就いた仕事でしたから……」。神奈川県内で一人暮らしをしていた和哉さんとの久しぶりの再会場所は、警察署の霊安室だった。遺体はケースに入れられ、抱きしめることすらできなかった。
西垣さんは国を相手取った訴訟と並行して各地を奔走した。他の遺族らと出会う中で、「これは和哉と私の個の問題ではない。社会の問題なんだ」と確信したという。遺族団体の先頭に立ち、法整備を求める55万人分の署名を集めた。そして14年11月、過労死等防止対策推進法が施行された。
今、同じ境遇の遺族らに助言するとともに、各地で講演活動を続けている。
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「Kのねがい」
そう題された冊子=写真=の表紙には、仕事中の男性の横顔が描かれている。男性は、パソコンに向かう入社まもない頃の和哉さん。同僚が撮っていた写真を、西垣さんが譲り受けて油絵にしたものだ。Kはもちろん、和哉さんの頭文字だ。
A4判、約40ページの冊子は、過労死を巡る西垣さんの活動で配られるなどしたもので、和哉さんの労働実態や裁判資料とともに、「ふつー」を願う和哉さんのブログも紹介されている。
西垣さんは言う。「未来の社会を生きる者として送り出された子、送り出した親、その双方を傷つけたのが過労死だ」と。
政府が発表した過労死白書によると、様々な苦痛を抱えて19年度に過労死した人は174人に上る。過労死が国際語「Karoshi」になって久しい。世界でこんな日本語が通じる状態は、到底、「ふつー」ではない。