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Q.姫路城の「お菊井戸」って本物?

大天守を見上げる上山里曲輪にある「お菊井戸」(姫路市で)
大天守を見上げる上山里曲輪にある「お菊井戸」(姫路市で)

 「いちまぁ~い、にまぁ~い」。井戸からお菊の霊が現れ、うらめしげに皿を数えることで知られる怪談「播州皿屋敷」。姫路市の世界遺産・姫路城には「お菊井戸」と名付けられた古井戸があり、掲示板には城を舞台にした皿屋敷伝説がまことしやかに記されている。しかし、本当にお菊が投げ込まれた伝説発祥の井戸なのだろうか。(新良雅司)

夜な夜な数える声

 お菊井戸は、観光客が順路に沿って大天守などを見学し、出口に向かう「上山里曲輪くるわ」と呼ばれる区域のほぼ中央にある。直径は約2メートル、深さは約16メートルで、周りは石柱で囲まれている。

 掲示板の内容はこうだ。

 「1500年頃、姫路城主・小寺則職のりもとの家老・青山鉄山が町坪ちょうのつぼ弾四郎と城を奪おうと企てた。則職の家臣はお菊を青山家に送り込み、企てを探らせた。動きを知った弾四郎は家宝の10枚そろいの皿を1枚隠し、お菊に責任をかぶせて斬り殺し、井戸に投げ込んだ。その後、井戸から毎夜、9枚目まで皿を数えるお菊の声が何度も聞こえたという」

 なるほど、則職は実在の城主で、城近くの十二所神社内にはお菊をまつる「お菊神社」もある。神社の由緒には「則職は菊女の忠節に感じ、霊をまつりて、ねんごろに慰めたとう」と記されており、姫路城のお菊井戸は真実味を増す。

全国各地にも

 ただ、皿屋敷伝説は姫路城だけにとどまらない。

 姫路文学館によると、全国各地の約50か所に同様の言い伝えがあるという。播州皿屋敷のほかに、江戸の旗本屋敷を舞台にした「番町皿屋敷」が有名だ。県内でも尼崎市や加東市、佐用町などに伝説が残る。

 話には様々なバリエーションがあるが、多くは屋敷で奉公している女性が、仕事でミスをしたなどとして男性から責められ、命を落とすという内容だ。現代で言えば、パワハラやセクハラに当たるだろう。

 口承の伝説は江戸中期の1720年、京都で歌舞伎として舞台化され、41年には浄瑠璃「播州皿屋舗」が大阪で上演された。1845年には実録体小説「播州皿屋鋪細記」(姫路市立城内図書館蔵)が出された。落語や絵画などでも人気を博し、四谷怪談、牡丹ぼたん灯籠と並んで「日本三大怪談」と呼ばれるようになった。

 甲斐史子学芸課長は「封建社会でありがちな女性の悲劇が語り継がれるうちに脚色が加えられ、皿屋敷伝説が生まれた。それが舞台化されることで、さらに面白おかしく変化し、新たな伝説が各地へ広がっていったのでは」とみる。

実は別の場所!?

十二所神社内にある「お菊神社」(姫路市で)
十二所神社内にある「お菊神社」(姫路市で)

 姫路市立城郭研究室によると、姫路城のお菊井戸は酒井家が城主の時代(1749~1868年)には「瓶取つるべとり」と呼ばれていた。上山里曲輪内でお茶をたてる時などに、この井戸が使われていたとみられる。

 であれば、お菊が投げ込まれた井戸の水でお茶をたてるわけがない。

 江戸時代には、大天守東側の中堀近くにあった別の井戸がお菊井戸だと伝承されていたらしい。それが明治時代には、十二所神社境内の井戸に伝承が移っているとか。そもそも、青山鉄山は伝説上の人物で、「青山」「町坪」はいずれも姫路の地名だ。

 工藤茂博学芸員は「瓶取が広くお菊井戸と呼ばれるようになったのは、1912年に姫路城が一般公開されるようになってから。観光客に喜んでもらうため、怪談ゆかりの井戸を城内に移動させたのだろう。軍都から観光地として生き残ろうとした姫路市の近代史を象徴している」と分析している。

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1959887 0 知っトクひょうご~「へえ」な話題あります 2021/04/04 05:00:00 2021/04/04 05:00:00 2021/04/04 05:00:00 大天守を見上げる上山里曲輪にある「お菊井戸」(3月29日午後2時50分、姫路市で)=新良雅司撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/04/20210404-OYTAI50000-T.jpg?type=thumbnail

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