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1590~1620年頃の石垣混在

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Q.出石城築城 通説は1604年頃だけど?

「鏡石」が存在する本丸東隅櫓の石垣について説明する谷本さん(豊岡市の出石城跡で)
「鏡石」が存在する本丸東隅櫓の石垣について説明する谷本さん(豊岡市の出石城跡で)

 江戸時代、但馬地方を代表する城だった出石城跡(豊岡市出石町)。城跡の最上部に鎮座する有子山稲荷神社へと続く赤い鳥居の参道などが人気を集め、「続日本100名城」にも名が挙がる。その築城は1604年頃とされてきたが、実ははっきりしていないという。どういうことなのか――。(熊谷暢聡)

藩主就任年 根拠に

 出石城のルーツは、1570年代までさかのぼる。背後にそびえる有子山(標高321メートル)に但馬の戦国大名・山名祐豊が、山城の有子山城を築いたのが始まりとされる。山麓に居館を置き、山城と居館がそろって存在していたと考えられている。

 この居館を城として整備したのが現在の出石城だが、観光パンフレットなどに記される1604年の築城を裏付ける同時代の資料は確認されておらず、築城したと伝わる出石藩主の小出吉英よしひさがこの年に就いたというのが根拠になっているらしい。ただ、城跡に残る石垣を調べると、<通説>とは異なる様子が浮かび上がってくる。

 なぜ、石垣が時期特定の手がかりになるのか。安土桃山時代から江戸時代初期にかけ、石垣を持つ城が各地で相次いで築かれた。石垣を積む技術も短期間で急速に発達し、年代によって積み方や石材の加工に違いがみられるためだ。時期が下るにつれ、石垣は高くなり、規格化されていく。

 これらに基づいて出石城跡を調べると、文禄期(1590年代前半)から元和期(1620年前後)までの石垣が確認されるという。但馬考古学研究会の谷本進さん(63)(養父市)は「文禄期に石垣を大規模に積んだ城が造られはじめ、元和期に今の姿になったのだろう」と話す。

合戦に備え強化

 参道沿いにある本丸東隅やぐらの石垣には、周りよりひときわ大きな石材「鏡石」が積まれている。1590年代後半に整備された竹田城跡(朝来市)と共通する技術で、ほぼ同時期に築かれたことを示す特徴だという。同じ本丸でも西隅櫓は石材の形などが規格化した約20年後の元和期のものと考えられる。発掘調査では、「二の丸」地中から、1590年代前半にさかのぼる石垣も発見されている。

 新旧の石垣が混在する理由について、谷本さんは、複数の狭い「曲輪くるわ」(城の平地)を拡張する再整備が行われたためとみる。「徳川家康によって豊臣家が滅ぼされるまでは、大規模な合戦に備えて城の機能を絶えず拡大、強化する必要があった」と説明する。

 有子山城とセットで使われた時代から、山麓の機能を強化し、城として発達していった出石城跡。同じ城跡でも場所によって変化を見せる石垣を眺めながら歩いてみる。これまでとは違う、城跡の魅力に出会えるかもしれない。

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2042348 0 知っトクひょうごmini 2021/05/11 05:00:00 2021/05/11 09:12:17 2021/05/11 09:12:17 「鏡石」が存在する本丸東隅櫓の石垣について説明する谷本さん(豊岡市の出石城跡で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/05/20210511-OYTAI50001-T.jpg?type=thumbnail

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