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「心がけ一つ」父の愛32通

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母娘6人支えた遺言 西宮

 日夜お国のために、一生懸命働いているのです。姉妹仲よく、お母さんに孝行するのですよ

父の手紙を手にする宮内さん。「今も姉妹で会うと思い出話が尽きません」(西宮市で)
父の手紙を手にする宮内さん。「今も姉妹で会うと思い出話が尽きません」(西宮市で)
父の堀正巳さん。ビンタン島に派遣された直後の写真が、同封されていた(1944年1月撮影)=宮内さん提供
父の堀正巳さん。ビンタン島に派遣された直後の写真が、同封されていた(1944年1月撮影)=宮内さん提供
歳月とともに古ぼけた父からの手紙。それでも、家族を思う気持ちは消えない
歳月とともに古ぼけた父からの手紙。それでも、家族を思う気持ちは消えない

 1944年2月7日付の手紙には、そうある。読み返す度、宮内 幸子ゆきこ さん(82)(西宮市)は胸が熱くなる。差出人は戦時に命を散らした父の堀正巳さん。海を越えて届いた32通の全てに、愛を感じる。

 古河鉱業(現古河機械金属)で働いていた父は43年12月、四女の宮内さんを含め2~11歳の娘5人を残し、インドネシアのビンタン島へ派遣された。民間人ながら陸軍中佐の待遇を受け、ボーキサイト鉱業所の総務部長に就く。航空機などに使うアルミニウムの原料とするため、国へ送る命を受けていた。

 仕事もいよいよ大仕掛けになっていきます。日本の戦力の基本ですから責任はまします――44年2月7日

 4歳で別れた宮内さんも、一緒に東京で見た宝塚歌劇団の舞台を忘れない。「明治神宮の芝生で写真を撮ってくれた日もあった」と懐かしむ。

 日記などから、東大在学中はスキーや乗馬をしたり、本を出版したりした多才な父だったと知った。便箋を埋める端正な鉛筆の文字が、教養の深さを物語るようだ。

       ◇

 手紙には、鉱業所の従業員らの家を建て、付近の島々で農場や漁場、製塩所も整備した、ともあった。

 毎日大勢の子供の世話で大変とは思うが元気を出せ、歯をくいしばって頑張れ。どんな苦しみも辛抱せよ。そうすれば日本は必ず勝つ――44年6月17日

 妻に向けていながら、自らをも鼓舞するような言葉が並ぶ。望郷の念を押し殺しただろう父に応え、宮内さんも、東京から家族で疎開した岡山県の親類宅でせっせと手伝いをした。「農家が食べ物を分けてくれることもあって、良くしてもらった」と話す。

 それでも、「父をどれだけ待ち焦がれたか」。靴の音がする度、見に行った。

 再会はかなうはずだった。貨客船に乗り、父は帰国の途に就く。だが、米潜水艦の攻撃で台湾海峡に沈んだ。37歳だった。45年4月1日の「阿波丸事件」だ。民間人を多く乗せ、連合国に安全航行を保障されていたという。

 「岡山での葬儀は、立派だった。それを覚えています」

       ◇

 戦後、母の敏子さんは琴や三味線を教えるなどして養ってくれた。肩を寄せ合いながら支えにしたのは、父の遺言となった手紙の言葉だ。

 衣食住全てに美を見い出し、美を作り出せ。よき行儀よき言葉。心がけ一つで人生の楽しみは限りなくふえて来る――45年1月18日

 「きっと父の生き方そのものだったのだろう」と信じてきた宮内さんは、大阪で就職した後、結婚して3人の子を育てた。数年前には戦争体験記の募集に応じ、シベリア抑留で父を失った夫とともに、西宮市に手記を寄せた。

 シニア向け講座で手品を習い、慰問先の高齢者施設で披露してきた。新型コロナウイルス禍が収束したら、再開したいと思っている。父が手紙に、姉妹の中で「一ばんにぎやか」と書いてくれた通りの活発さは、変わらない。

 この手紙が着いたら、『お父さんからだよ』と言って子供たちの頭を三べんずつなでてやって下さい

 ぬくもりは、ずっと。「二度と戦争をしてはいけない」。父がくれた「幸」の名に、そう誓う。(加藤あかね)

       ◇

 終戦の日が今年も巡る。戦後76年。戦跡や遺品など戦争の惨禍を雄弁に伝える「物言わぬ語り部」たちの声に、耳を澄ましたい。(随時掲載)

「阿波丸事件」  神戸市の「戦没した船と海員の資料館」などによると、阿波丸は日本郵船の貨客船。1945年4月1日に撃沈され、2000人を超す民間人、外交官らが犠牲になった。日本支配下にある連合国捕虜への救援物資を運び、その帰路だった。船体に緑十字が塗色され、安全航行を保障されていた。奈良市の●■寺では寺の親族が犠牲となったこともあり、毎年法要が営まれる。寺が保有する2150人分の遭難者名簿に、堀正巳さんの記載も残る。

●は王へんに連(二点しんにゅう)

■は王へんに成

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2284487 0 物言わぬ 語り部たち 戦後76年 2021/08/14 05:00:00 2021/08/14 05:00:00 2021/08/14 05:00:00 「良い言葉をたくさん残してくれました。姉妹で会うとお父さん、お母さんとの思い出話しが尽きません」と話す宮内さん(西宮市で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/08/20210814-OYTAI50015-T.jpg?type=thumbnail

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