<上>戻らぬ教え子 命は奇跡

スクラップは会員限定です

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

脱線事故で亡くなった卒業生らの無念を語り継いできた古川教諭。追悼の石碑に手をやる(三田市の県立北摂三田高校で)
脱線事故で亡くなった卒業生らの無念を語り継いできた古川教諭。追悼の石碑に手をやる(三田市の県立北摂三田高校で)
卒業アルバムに残る小前さんの笑顔。古川教諭には、この学生服姿で記憶が止まっている
卒業アルバムに残る小前さんの笑顔。古川教諭には、この学生服姿で記憶が止まっている

 卒業証書を手にした生徒たちが、別れを惜しみながら帰路に就く。その様子を、校庭の隅からずんぐりした石碑が黙って見ていた。

 3月2日、三田市にある県立北摂三田高校。英語教諭の古川次男(65)は、顧問として関わった男子バレーボール部の3年生を送り出す前に、石碑の前に呼び寄せた。

 「この学校には『行ってきます』と家を出たまま、二度と戻れなかった先輩たちがいるね」と切り出す。いつも語ってきた、2005年4月のJR福知山線脱線事故だ。犠牲者の中に、若い卒業生が5人含まれている。

 「人生、いつ何が起こるか分からへん。命があるのは奇跡や。忘れんといてな」

 春の日差しに、石碑に刻まれた文字が浮かび上がった。「いのちの絆」と。

     ◇

 大阪教育大2年の小前宏一(当時19歳)が通学中、先頭車両で巻き添えになったと古川が知ったのは、事故の数日後だった。

 高1の時に担任をしたほか、授業で3年間、関わった。「あの子が……」。学生服姿の在校生らが1年前に卒業したばかりの小前と重なり、授業に身が入らなくなった。

 教師を目指していると聞いて、「彼はきっと、いい先生になるぞ」と期待していた。「誰とでも仲良くなれる明るさと慎重さを持ち合わせ、バランス感覚があるから」

 クラスの先頭に立つタイプではなかった。それでも、文化祭や体育祭では、みんなの意見を調整する役割を果たしていた。目立たずとも、結束の中心に小前がいた。

 印象深いのは、入学してきて間もない頃のこと。放課後の教室で、ひとり窓の外を眺めていた。尋ねると、サッカー部に入るべきか迷っているのだという。

 「飛び込めばいいよ」。古川は言った。「もし失敗しても、ええやんか」

 それが背中を押すことになったのかは、分からない。その後、サッカー部の一員となった小前がボールを蹴る姿を見るのが、好きだった。遅れて入部したことなど全く感じさせず、生き生きと――。

     ◇

 告別式では、出棺の際に太鼓がドンドンと響き始めた。「ゴールを目指せ小前」。リズムに合わせ、仲間たちが涙声を張り上げる。サッカー部の応援歌だった。

 「短い人生でも、君は素晴らしい友を残したんやな」。心で小前に語り掛け、古川は涙が止まらなくなった。

 「失敗してもええやん」の真意を伝えたかったが、それはかなわない。大学4年生の時、教員採用試験に失敗した古川は、挫折をバネに米国へ留学して懸命に学び、合格を勝ち取る経験をした。

 だから、仕事で壁に直面した時も「長い目で見れば、どんなこともプラスに変えられる」と信じてきた。小前も教師になっていたら、悩む日があっただろう。「失敗を恐れず、前へ突き進む姿が見たかった」と悔しい。

 時に校庭の隅で、古川は石碑に向き合う。命を絶たれた卒業生たちの鎮魂を願い、事故の2年後にできた。文字は「い」と「の」の一部が重なり合っている。人と人のつながりを、示すために。

     ◎

 長く北摂三田高の教壇に立ってきた古川は、今年度限りで教師としての再任用期間を終える。脱線事故から17年。節目の春を、見つめる。

(文中敬称略)

  JR福知山線脱線事故  2005年4月25日午前9時18分、制限速度を大幅に超えて走行していた宝塚発同志社前行き快速電車(7両)が、尼崎市の塚口―尼崎間のカーブで脱線。線路脇のマンションに衝突し、乗客106人と運転士が死亡、562人が重軽傷を負った。JR西日本はマンション上層部を解体するなどし、追悼施設「祈りの もり 」として整備した。

スクラップは会員限定です

使い方
「地域」の最新記事一覧
2881734 0 先生 JR脱線事故17年 2022/03/30 05:00:00 2022/03/30 05:00:00 2022/03/30 05:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2022/03/20220331-OYTAI50000-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込みキャンペーン

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)