海軍予備学生の絆迫る 土浦の倉田さん 殉職碑取材し本に

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殉職した予備学生を巡る同期らの絆について本にまとめた倉田耕一さん
殉職した予備学生を巡る同期らの絆について本にまとめた倉田耕一さん

 太平洋戦争初期、朝日村(現阿見町)と福岡村(現つくばみらい市)で墜落死した3人の予備学生を巡る、同期の絆や他人を敬う心を描いた本が出版された。著者の倉田耕一さん(66)(土浦市)は、現地に残る石碑を手掛かりに関係者を5年がかりで取材し、同期生が哀悼の建碑を発案していたことなど、戦時下に埋もれた事実を掘り起こした。

 題名は「最後の大空のサムライ――第八期海軍飛行科予備学生の生と死」(さくら舎、四六判224ページ)。3月10日に出版された。1941年4月、霞ヶ浦湖畔の土浦海軍航空隊に入隊した第八期海軍飛行科予備学生43人のうち、県内で殉職した3人の死に迫った。

 同著によると、予備学生たちは基礎教育を終えると、霞ヶ浦海軍航空隊に転隊した。開戦翌日の1941年12月9日に、朝日村の畑に練習機が墜落し、操縦していた予備学生が死亡。42年3月10日には、福岡村の松林に攻撃機が墜落して、搭乗していた予備学生2人が亡くなった。

 著書では、事故後に遺族が現場を訪れた際、殉職は戦死と違って不名誉な死という見方もある中で、案内した同期生が石碑を建てることを発案したと記載。慈しむように植樹する遺族の姿に接した同期生が「戦友の霊魂を供養しようと考えたのだろう」と、倉田さんはつづっている。

 石碑には和歌も刻まれていた。墜落現場近くの19歳の女性が事故に驚き、亡くなった予備学生に対する心境を「春来れど 今日の淋しさ 大空の 武夫もののふ偲ぶ 山里の梅」と詠んだ。元々は封筒に入れて現場に供えていたものが、石碑に採用されたという。

 倉田さんは退職前、産経新聞記者として県内に赴任していたこともあり、その時の人脈をきっかけに取材を進めた。「戦時下に殉職碑を建てるのはほとんど不可能だったが、可能にしたのは人同士の心の絆。新元号が施行される前に、大正生まれの人々のことを後世に伝えたい」と話している。

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523196 0 ニュース 2019/04/05 05:00:00 2019/04/05 05:00:00 2019/04/05 05:00:00 霞ヶ浦海軍航空隊で殉職した予備学生の実態を本にまとめた倉田耕一さん https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/04/20190404-OYTNI50029-T.jpg?type=thumbnail

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