文字サイズ

    〈中〉安比の山と生きる

    完璧なコースに爽快感圧雪29年

    • 「スキーヤーに最高のゲレンデを提供したい」。佐藤さん率いる圧雪チームの思いは共通だ(21日、安比高原スキー場で)
      「スキーヤーに最高のゲレンデを提供したい」。佐藤さん率いる圧雪チームの思いは共通だ(21日、安比高原スキー場で)

     真夜中のゲレンデを駆ける男たちがいる。

     24日午後11時。安比高原スキー場(八幡平市)で、佐藤康範さん(60)ら6人が各自の圧雪車に乗り込んだ。総滑走距離45キロの雪面を一晩かけて最高のバーンに仕上げる。それが男たちの任務だ。

     夜明け前、風雪と濃霧で視界が悪くなった。全長8メートルの圧雪車を操る佐藤さんの視線に緊張がみなぎる。

     「ものすごく神経をすり減らす。でも、完璧に整えたコースを眺めるのは爽快だよ」。29年間、圧雪の仕事を続けてきた原動力だ。

     高校卒業後に都会に出たが、長男の義務感から25歳で旧西根町(現・同市)にUターンした。数年後の1981年、「僻地(へきち)だった」という地元に、巨大スキー場が誕生した。

     林野庁の音頭で開発された安比は当初、「成功しない」とささやかれた。南向きの設計が主流の時代、北斜面の安比はあまりに雪深かった。だが、80年代後半の暖冬で雪不足に苦しむスキー場が相次ぐ中、安比の豊富で良質な雪は一転、武器となる。

     バブルとブームが重なり、92年には全国から150万人が押し寄せた。30基のリフトには2時間待ちのスキー客。1万台の駐車場はあふれ、安比に向かう車は15キロの列をなした。

     ゲレンデは荒れた。圧雪の出来に苦情もあったが、始めて7年程だった佐藤さんは「もっときれいにやってやる」と奮った。いつしか、圧雪は生きがいになった。

     ブームが去った今、安比が掲げる売りは「ゲレンデ品質」だ。今季のパンフレットの1ページ目に、高品質の秘密がこう記されている。〈毎晩、丁寧に行うメンテナンス〉と。

     かつて一介の若者として雇われた佐藤さんに、安比の将来がかかる。佐藤さんは言う。「ここは、自分にとって運命のスキー場だね」

    ◆立花徳彦さん 「死ぬまで民宿やるよ」

    • 「またくるからね」。客が立花さんに描いた色紙は1000枚以上。一部は食堂に飾られている(24日、八幡平市細野で)
      「またくるからね」。客が立花さんに描いた色紙は1000枚以上。一部は食堂に飾られている(24日、八幡平市細野で)

     スキー場は、地元農家の暮らしも一変させた。

     安比の北麓に広がる民宿街。「ただ山があるだけだった農村に安比が活気をくれたんだ」と、民宿組合長の立花徳彦さん(65)は懐かしむ。

     立花さんら多くの民宿主は、元は冬に季節労働に出る農家だった。宿不足解消のため、スキー場が農家に開業を勧めたのが民宿街の発祥だ。ブームに乗り、客は40軒近くの民宿を埋めた。87年に立花さんが始めた「かすみ荘」も連日の満室で、入りきれない客は親戚宅に泊めた。

     今、スキー入場者は50万人を割り、民宿は25軒になった。客が1人もいない日もあるし、地域の高齢化が進み、民宿はもっと減るかもしれない。でも、立花さんは「まだ再生できる」と前向きだ。安比を訪れる観光客は最近、夏が冬を上回っている。夏季集客の中核の一つは98年に開いたサッカー場だ。建設したのは立花さんら7人の民宿主。安比を再び活気づけたのは、元農家たちだった。

     「俺は死ぬまで民宿をやるよ。みんなで力を合わせ、安比と生きていくんだ」

     立花さんはそう言うと、がはは、と笑った。

    2013年01月27日 01時07分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    PR
    今週のPICK UP

    理想の新築一戸建て