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    亡き弟と一本松に祈り

    フォーク歌手サスケ

    • 亡き弟のギターをかき鳴らし、「高田の一本松」を熱唱する大垣勝正さん(昨年12月21日、東京で)
      亡き弟のギターをかき鳴らし、「高田の一本松」を熱唱する大垣勝正さん(昨年12月21日、東京で)

     2013年の師走の夕暮れ。東京・四谷のピアノバーで、宮城県塩釜市出身の作詞家、藤公之介さん(72)が「命」をテーマに作詞した歌のライブが行われた。

     「僕の詩を深く理解してくれる作曲家です」。藤さんの紹介で、双子のフォークデュオ「サスケ」の大垣勝正さん(59)(東京都)がアコースティックギターを弾き始めた。陸前高田市の「奇跡の一本松」に着想を得て、藤さんが作詞し、サスケの2人が作曲した「高田の一本松」の哀愁漂うメロディーが響いた。

     手にしていたのは、13年7月に肺がんで亡くなった弟隆正さん(当時58歳)のギター。隆正さんに届けるように天を仰ぎ、声を張り上げた。この歌を1人で弾き語りしたのは、隆正さんの死後、初めてだった。

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     2人は24歳でデビュー。ヒット曲に恵まれず、ライブでは時代遅れのフォークソングに「聴きたくないよ」とヤジも飛んだ。勝正さんは、「2人だから乗り越えて来られた」と振り返る。

     震災があった11年3月11日、2人は一関市でのイベントに出演し、ステージに上がった時、地震に見舞われた。避難者支援のチャリティー活動も行い、「東北のために何かしたい」と思っていたところ、同年7月に藤さんから「高田の一本松」の作曲を依頼された。2人は愛媛県伊方町に帰省した際、5分で曲を書き上げた。早速、各地のライブで演奏し、支援を呼びかけた。

     12年5月、隆正さんは突然、末期の肺がんと診断された。2人は「高田の一本松」のCD制作を始めた。隆正さんの体調はすぐれず、ソファに横たわったまま声を振り絞った。約4分半の歌の録音に6時間かかった。約1年間の闘病後、隆正さんは息を引き取った。

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     藤さんは、津波で宮城県石巻市在住の妹夫婦を失った。11年5月に営まれた葬儀の時、参列していた40歳くらいの男性が「俺も死ねばよかった」と泣いた。男性は両親と妻、子どもを亡くしていた。男性を慰めようと藤さんは言葉をかけた。

     「生きてりゃいいこと きっとある」

     藤さんは「自分に向けた言葉でもあった」と振り返る。その思いを高田松原で見た「奇跡の一本松」に託し、20年来の交友がある大垣さんらに作曲を頼んだ。

     〽一本松が十本に 百本千本一万本/やがて高田の松原が 七万本によみがえる/生きてりゃいいこと きっとある/生きてりゃいいこと きっとある

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     隆正さんを失い、「片方の腕をもがれた気持ちになった」という勝正さんだが、「震災で家族を失った人の気持ちが少しだけ分かる今だから、この歌を歌える」と感じるようになった。1人になってもサスケとして活動し、隆正さんと作った歌を演奏し続ける。100曲以上あるデモテープも少しずつ形にするつもりだ。「弟も『カツ、偉いな』と言ってくれると思うんだ」

     2人は11年10月、一本松の前で歌を披露したことがあった。「どうでしょうか」と心の中で尋ねた。風で枝や葉がさわさわと鳴り、一本松がうなずいてくれた気がした。

     勝正さんは「一本松に行けば、タカに会える気がする」と思っている。歌がきっかけで陸前高田市に友人も多くできた。春には隆正さんのギターを抱え、第2の古里の友人たちに会いに行くつもりだ。

    (安田信介)

    2014年01月05日 23時14分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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