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    「安比」築いた青年社員

    • (上)安比高原スキー場に立つ山本徹さん(八幡平市安比高原で)(下)1981年12月に行われたスキー場の完工式(中央が江副氏)=安比総合開発が作成した記念誌より
      (上)安比高原スキー場に立つ山本徹さん(八幡平市安比高原で)(下)1981年12月に行われたスキー場の完工式(中央が江副氏)=安比総合開発が作成した記念誌より
    • (上)安比高原スキー場に立つ山本徹さん(八幡平市安比高原で)(下)1981年12月に行われたスキー場の完工式(中央が江副氏)=安比総合開発が作成した記念誌より
      (上)安比高原スキー場に立つ山本徹さん(八幡平市安比高原で)(下)1981年12月に行われたスキー場の完工式(中央が江副氏)=安比総合開発が作成した記念誌より

     「安比で農場をやりたいんです」。1974年、安代町(現八幡平市)の農業委員会事務局長だった北舘義一さん(85)は、一人でふらりと現れた不思議な青年に目を丸くした。後に町長も務めた北舘さんは、農業への熱意を語る鹿児島から来た青年に好感をもった。

     当時26歳だった大阪府出身の山本徹さん(66)は、日本リクルートセンター(現・リクルートホールディングス)社員で、創業者の江副浩正氏(故人)から農場開発の密命を帯びていた。「自然豊かなカナダへ移住するのが夢」と語っていた山本さんを、江副氏は安比に派遣した。60年に創業し、急成長中のリ社らしい大胆な人事だった。すでに、現在スキー場がある前森山(1305メートル)の土地約10ヘクタールを買収していた。

     「3億円事件の犯人では」。空き家を借り、チェーンソーで林を黙々と開拓する山本さんを、6年前の事件と結びつけるうわさも飛び交った。しかし、一人悪戦苦闘する山本さんの姿に、住民も心を開いていった。

     山本さんが最初に空き家を借りた豊畑地区には、戦後に満州(現中国東北部)から引き揚げ、農地を開いた開拓者の集落があった。民宿「おのでら館」を経営する小野寺隆一さん(64)の父・英夫さん(故人)も住人の一人だった。牧草の刈り取りなどを手伝ってもらううちに、自宅で酒を酌み交わす仲になった。山本さんは、ギターを手に地元の「農民祭」に参加し、得意の歌を披露した。隆一さんは「突然山の中に現れ、住民の心をつかんでいった。すごい人です」と話す。

     ◇

     安代町の故・米川勝巳町長は前森山のスキー場としての可能性に目をつけていた。大手商社・丸紅が開発を計画していたが、76年のロッキード事件をきっかけに撤退した。代わりに現れたのが、リ社だった。

     「住民は出稼ぎに出て、冬は家族がバラバラ。雇用の場を作ってもらえないか」。米川町長の意をくみ、山本さんは江副氏を米川町長と引き合わせた。

     無類のスキー好きだった江副氏にとって、スキー場開発はビジネスを超えた夢だった。スキー場建設を目指し、リ社は県や安代町などと80年に第3セクター・安比総合開発を設立した。

     牧場を開いていた山本さんに、江副氏からスキー場開発の命が下ったのは78年だった。難航したのは、開発区域約2500ヘクタールの5分の1を占める民有地の買収だ。施設予定地の中心を所有していたのは安比牧野農業協同組合(解散)。20人ほどいた役員の家を一軒一軒歩いてくどいた。組合員だった高村辰蔵さん(86)(八幡平市)は「ツキノワグマに牛が毎年襲われるような山奥。本当にスキー場ができるか半信半疑だった」と振り返る。

     土地に愛着を持つ開拓者にも「民宿をやれば、出稼ぎに行かなくてすむ」と説得した。小野寺英夫さんも、79年から民宿を始めた。部屋は工事業者やスキー客で一杯になった。「邪魔者でしかなかった雪が、札束になった」。隆一さんによると、英夫さんはそう語っていたという。

     ◇

     スキー場の設計を進めたのは、山本さんらリ社出身者と地元採用者らの「素人集団」だった。

     安比の特徴でもある、さらさらで軽いパウダースノーはスキー場には大きな長所だ。しかし、ひとたび強風が吹くと視界を遮る猛吹雪になりやすい。風が強い場所は、吹雪が起きにくいようコースの幅を狭く、弱い場所は広くゆったりつくることにした。80年12月~翌年3月、7~8人のメンバーが真冬の前森山をほぼ毎日登り、風の強さや積雪量を測った。

     現在スキー場総支配人で、盛岡市の高校卒業後にリ社に採用された佐藤圭一さん(53)は当時18歳だった。「吹雪の中、雪をかき分けながら山を登った。木の周りの雪がへこんだ所に落ちると、はい上がれなかった。命がけだった」と振り返る。

     ◇

     81年12月15日に行われたスキー場の完工式には、安代町長や江副氏も出席し、吹雪の中でテープカットが行われた。

     最初のシーズンの利用客は約12万6000人。その後、右肩上がりに増え、10年後には150万人に達した。若者が「APPI」ステッカーを車に貼るのが流行し、「安比」は全国区になった。

     江副氏は安比高原スキー場に終生通い続け、倒れる最後の日までゲレンデにいた。今月8日は、江副氏の三回忌だった。

     山本さんは今、安比高原スキー場を望む場所に自宅を構える。「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」。そんな江副氏の言葉を体現した人生だったと自負している。(福元洋平)

     ◇

     雪深い山を切り開き、海の恵みを求めて船を出す。豊かな自然の中で産業を興し、県民の暮らしが大きく変わった戦後70年。「隠れた物語」第2部は、「産業と開発」を取り上げる。

    2015年02月13日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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