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    活気維持へ店主ら奮闘

    • 県内で初めて再建を果たした「三陸サイコー商店会」(2月24日午後0時37分、大船渡市三陸町越喜来で)=菅原智撮影
      県内で初めて再建を果たした「三陸サイコー商店会」(2月24日午後0時37分、大船渡市三陸町越喜来で)=菅原智撮影
    • 復興工事関係者など多くの客でにぎわう昼時の「三平」
      復興工事関係者など多くの客でにぎわう昼時の「三平」

     「ごちそうさま、おいしかったよ」。2月下旬のお昼時、大船渡市三陸町越喜来の食堂「三平」は、復興工事の関係者らでにぎわっていた。海鮮丼とラーメンなどがセットになったボリュームのある550円の日替わり定食が人気で、「ありがたいことにたくさんの客が来てくれるよ」と店主の菊地憲行さん(58)が忙しそうに話す。

     三平があるのは、2015年7月に県内の沿岸被災地で初めて商店街としての再建を果たした「三陸サイコー商店会」の一角だ。

     東日本大震災前は35ほどの商店があった地域だが、津波でほとんどが全壊。「再興」「最高」「さあ、行こう」などの思いを込め、12年2月に10店舗で仮設商店街として営業を始めた。その後、「バラバラに再建してもうまくいかない」と会議を30回以上開き、再建の道を探ってきた。

     国が被災企業のグループでの再建を支援する「グループ補助金」を活用して、布団店、不動産会社、釣具店など9店舗が出店し、再出発した。オープニングイベントには、県内外から1000人以上が押し寄せた。

     再開から8か月。多くの商店主は再建による借金を抱え、環境は決して良くない。15年11月に復興道路の三陸インターチェンジ(IC)―吉浜IC間を結ぶ「吉浜道路」が開通すると、商店街に面した国道45号の1日の車の交通量は7900台から2500台に激減した。

     震災前に地域にあった北里大三陸キャンパスも相模原市へと移転し、学生の姿はなくなった。流出に歯止めが利かず、地区の人口は震災前の2919人(11年1月末時点)から2470人(今年1月末時点)に減った。

     「いまの活気と学生がいたときの活気は性質が全く違う」と菊地さん。三平の客の6、7割は工事関係者で、一過性のにぎわいにならないか懸念する。板前として修業を積んだ菊地さんの長男は店を継ぎたいと言っているが、「復興後も店をやっていけるかどうか。まだ見極めが必要だ」と説得している。

     「地域に人が戻ってくるためにも商店街が必要だし、商店街がにぎわうためにも人が必要。生き残るために様々な仕掛けをしていかなければならない」。こう話すのは、平均年齢約50歳の商店主の中で、最年少ながら理事長を務める葛西祥也さん(43)だ。理髪店を営む葛西さん自身も、新たな顧客獲得のため、震災後に出張サービスを行っている。

     「私たち商店主と客とのつながりを作り、ファンになってもらうことが大事」と葛西さんは話す。フェイスブックを活用して商店街の情報を発信し、商店街の敷地に新設した集会所で市民向けの教室を始めた。美容室による着付け教室や釣具店の釣り教室など、商店主らの得意分野を生かす。将来は商店街オリジナルの土産品を売りだそうと商店主らで開発にも乗り出した。

     葛西さんは、「一人じゃできないことも、商店街のみんなで知恵を出し合えばなんとかできることがある。地域の核になることを目指して、一緒に頑張っていくよ」と力を込める。“最高”の商店街を目指し、店主たちが奮闘している。

    2016年03月04日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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