奪三振ショー頼もしく ◇才能開花

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

中学時代の雄星。たゆまぬ努力で140キロ超の速球と安定したコントロールを手に入れた(2006年6月、父雄治さん提供)
中学時代の雄星。たゆまぬ努力で140キロ超の速球と安定したコントロールを手に入れた(2006年6月、父雄治さん提供)

 小学6年の2003年12月、菊池雄星は軟式野球チーム「見前タイガース」から硬式の「盛岡東リトルシニア」に移った。だがグラウンドは雪で覆われ、ボールを使った練習ができない。チームはひたすら走り込みをした。

 ヘッドコーチだった浅沼貴(53)は、この時期の雄星をほとんど覚えていない。「『もう無理』みたいな顔をして走っていたぐらいかな」と振り返る。

 屋外グラウンドでの練習が再開された3月頃。外野を守っていた雄星が捕球し、内野に返すのを見た浅沼は驚嘆した。返球スピードや肩の強さではない。驚いたのは、そのフォームの美しさだった。

 肩の広い可動域、しなやかな腕の振り。バレーボールや水泳で培われたものだった。「これは教えてできるものじゃない。速い球を投げるために生まれてきたようなやつだ」と直感した。

 浅沼は1年間、雄星をマウンドに上げなかった。午前は2時間走り込みをさせ、午後は5時間ノックを浴びせた。投球に欠かせない下半身を徹底的に鍛えるためだった。

 中学1年の冬、雄星は初めてブルペンに入った。捕手のミットが大きな音を響かせる。うわさを聞きつけて訪れたプロのスカウトも絶賛した。

 ただ、相変わらずコントロールはいまいちだった。

 中学2年の夏、シニアの東北大会初戦で先発したが四球を連発した。ストライクを取りにいこうと焦るあまり、甘く入った球を痛打された。初戦敗退。小学生時代と同じミスを繰り返し、同じように大粒の涙を流した。

 そして、また敗戦の悔しさが成長の糧になった。運動器具を使った体幹トレーニングを取り入れ、効率的に球に力が加わるよう徹底的に投球フォームを研究した。シニアの練習のない日は学校を終えると、自分でメニューを立て、午後10時頃まで自主練習をこなした。

 体力がつき、フォームも改善されると、球速とともにコントロールも安定してきた。中学3年になると1試合平均15個前後の奪三振ショーを演じ、直球は140キロを超えた。チームメートからの信頼も増し、三塁手だった鹿川雄翔しかがわゆうと(27)は「打球が飛んでこないので、目をつぶっていても守れると思っていた」と親友の姿を頼もしく見つめていた。

 そして迎えた東北大会。雄星は前年の屈辱を晴らそうと力投し、チームは準優勝をつかみ取った。

 シニアの卒団式で、雄星は「甲子園決勝の切符をお渡しします」と浅沼に伝えた。そこには、かつてランニングで息を上げていた少年の姿はなかった。

 中学卒業前、雄星は全国の40近い野球強豪高校から誘いを受けた。花巻東高を選んだのは、駒大苫小牧高が04年、北海道に初めて深紅の大優勝旗をもたらしたことが大きかった。「雪国でも全国で勝てる。岩手から日本一になりたい」。その夢は2年後、春の選抜大会準優勝という県勢初の快挙につながった。(敬称略)

無断転載禁止
54645 0 大リーグの星へ 2018/12/19 05:00:00 2018/12/19 05:00:00 中学校時代の菊池雄星。140キロ超の直球を左腕から繰り出し、打者を圧倒した(父・雄治さん提供) https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20181218-OYTAI50001-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

アクセスランキング

新着クーポン

NEW
参考画像
10000円9000円
NEW
参考画像
クーポンご提示のお客様に粗品プレゼント
NEW
参考画像
4200円3780円
NEW
参考画像
1560円1300円

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)
ページTOP
読売新聞社の運営するサイト
ヨミダス歴史館
ヨミドクター
The Japan News
発言小町
OTEKOMACHI
ささっとー
元気ニッポン!
未来貢献プロジェクト
YOMIURI BRAND STUDIO
美術展ナビ
教育ネットワーク
活字・文化プロジェクト
よみうり報知写真館
挑むKANSAI
読売新聞社からのお知らせ