震災で派遣のDMAT医師、被災地で常勤医に…大学教授へて10年ぶり現場復帰

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「被災地に人の営みを取り戻すには、医療の復興が重要」と話す鈴木さん(10月27日、山田町で)
「被災地に人の営みを取り戻すには、医療の復興が重要」と話す鈴木さん(10月27日、山田町で)

 東日本大震災で被災した山田町に「災害派遣医療チーム(DMAT)」として赴いた男性が今年、県立山田病院の常勤医に着任した。震災現場での体験を基に、約10年にわたり教授を務めた首都圏の私立大を3月に退職し、医師不足が深刻な同町への移住を決意。「被災地に人の営みを取り戻す手助けをしたい」と地域の復興を見守っている。(広瀬航太郎)

 男性は4月から総合診療科に勤務する医師の鈴木宏昌さん(68)。鈴木さんは震災当時、茨城県の「茨城西南医療センター病院」で救命救急センター長として勤務し、自身も震度6弱の揺れに遭った。テレビで流れる東北の惨状に「今出動しなかったら、何のために救命救急をやってきたんだ」といてもたってもいられなくなり、震災から3日後、派遣要請を待たずに自主判断で岩手へ向かった。

 当時、人口が2万人弱だった山田町では約830人が犠牲となった。鈴木さんが派遣された山田病院は、津波で2階建ての1階部分が浸水し、約40人の入院患者が取り残されていた。そこでDMATに課せられた役割は、孤立した患者を救出し、県内外の受け入れ可能な病院に避難させること。患者の重症度を判断し、寝たきりの患者を最大2人ずつ、3日間かけて内陸や高台の病院へ搬送した。

 派遣期間中、自問し続けたことがある。「本当に自分は被災者の役に立てているのか」ということだ。DMATとして訓練を積んできたのは、首都直下地震を想定した負傷者の救急治療。ただ、震災では津波の犠牲者が多く、治療すべき負傷者がほとんどいなかった。

 震災後は帝京平成大(東京都豊島区)の教授に就任し、救急救命士を志す学生の育成に当たった。その後も数年ごとに山田町を再訪したが、「見た目はきれいになったけど、町民の営みは戻っていない」と感じた。住宅跡地はほとんどが更地。2016年に再建された山田病院は、常勤医が一時2人にまで減った。

再建された山田病院(10月27日、山田町で)
再建された山田病院(10月27日、山田町で)

 「山田町の復興のためにできることはないか」。そう考えていたとき、岩手県が65歳以上の「シニアドクター」を募集していることを知り、10年ぶりに医師として現場に復帰する決意を固めた。

 「救急畑」を長く歩いてきたが、同病院では内科から外科まで幅広く診察する。高血圧症で通院する同町の鎌野アイ子さん(76)は「鈴木先生はデータよりも患者に向き合ってくれる。コロナ禍で遠くの大病院へ行けない中、とても心強い」と信頼を置く。

 診察では普段、震災を経験した町民から「あの日以来、不眠に悩まされている」との声も聞く。「具合が悪くなる原因をたどると、震災に結びついていることが多い」と鈴木さん。着任して以降、外側からは見えてこなかった震災の影響を強く実感するようになった。

 「人は安心して暮らせる所にしか集まって来ない。医療を通して山田町に安心をもたらす手助けができれば」。自身も町民の一人として、以前の町の姿を取り戻すために汗を流す覚悟だ。

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