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「竹林の隠者」古里思い

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徳島県民の歌 徳島県三好市

 県が50年前につくった「徳島県民の歌」の作詞を手がけたのは「竹林の隠者」との異名を持つ三好市出身の富士正晴(1913~1987年)だ。戦中戦後の文壇で活躍したものの、その功績はあまり知られていない。県内では、富士の名を残そうと、再評価する動きが出てきている。

徳島県民の歌の歌詞にもある吉野川(徳島市で)
徳島県民の歌の歌詞にもある吉野川(徳島市で)

 「県のこと余り知らんというと、それならヘリコプターにのせて全県を空から見てもらおうとおどかされた」(「ある地方民間放送」より)。4歳で徳島を離れた富士にとって、古里は遠い記憶になっていた。だが、県と友人の幾度にわたる懇願が富士の心を開かせたのだろう。

 富士が文学に目覚めたのは、第三高校(現京都大)の頃。詩をたしなむ友人から作家や詩人の話を聞かされ、文学に心が傾いていった。

青く広がる海と打ち寄せる波。海も歌の中に登場する(徳島県海陽町で)
青く広がる海と打ち寄せる波。海も歌の中に登場する(徳島県海陽町で)

 その作風に大きな影響を与えたのは、戦争体験だとされる。1944年に徴兵されて2年間、中国にいた。軍隊内の権威や暴力など、さまざまな理不尽を目の当たりにしたといい、その理不尽さを書くことがテーマの一つになったという。従軍体験をもとに書いた「敗走」では、戦時の婦女暴行など残虐な事実を描いた。

 アマチュア作家の作品を取り上げる雑誌「VIKING」をつくり人気を集めたが、雑誌仲間の離反や、友人の自殺など不幸が続き、38歳頃で大阪府茨木市の「竹林」に落ちのびた。「徳島県民の歌」も、この竹林で書きあげたという。亡くなるまでの約35年をここで過ごし、執筆に明け暮れたことが「竹林の隠者」との由来だ。

戦中戦後に文壇で活躍した富士正晴
戦中戦後に文壇で活躍した富士正晴

 富士の功績を顕彰しようと、2020年に四国大が高校生の文芸部誌コンクール「富士正晴全国高校生文学賞」を創設した。富士の作品に詳しい四国大の佐々木義登教授は「県内で最も偉大な作家の一人。戦争をテーマにした作品は、残虐な事実のなかにユーモアや人間らしさも描き、富士の人生観が凝縮されている」。

 隠者が世に出るのは、嫌がるかもしれない。(上田裕子)

<徳島県民の歌>

さわやかさ すだちの香り

さわやかさ 鳴門の潮よ

緑こき 剣の山よ

流れゆく 四国三郎

ここに生き 県民となり

さわやかさ 体に満ちる

ひろびろと 南の海よ

輝いて 空は青く

澄みわたる こころのままに

創りなす 阿波の文化よ

おのずから 県民となり

おのずから ふるい立つあり

さわやかさ このよきくにに

さわやかさ 愛と誠の

よき暮らし 打ちたてんかな

情熱は おのずからわき

未来追う 県民となり

日とともに 希望ひろがる

     ◇

 1971年に制定。徳島県出身の三木稔が作曲した。国体の開催に合わせて、60年代に多くの県が県民歌をつくった。徳島県も「県民が明るく気軽に歌える歌」を一般公募したが、該当なしに終わった。そこで、四国放送に勤める富士の友人が作詞を富士に持ちかけ、県民歌が誕生した。

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2105564 0 四国 ストーリーズ 2021/06/07 05:00:00 2021/06/07 05:00:00 2021/06/07 05:00:00 1928年の完成当時、日本一の長さを誇っていたという吉野川橋(徳島市で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/06/20210606-OYTAI50003-T.jpg?type=thumbnail

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