「障害者の可能性知って」 シドニー射撃出場 岡留さん魅力語る

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競技用ライフルを手にパラスポーツへの思いを語る岡留さん
競技用ライフルを手にパラスポーツへの思いを語る岡留さん

 障害者スポーツの祭典、東京パラリンピックの開幕まで25日で1年となった。両脚が不自由な志布志市の岡留晴文さん(63)は、2000年のシドニー大会に射撃で出場。「世界最高峰の舞台で戦った思い出は人生で一番の宝物」と目を細め、「障害者の無限の可能性を知ってほしい」と期待を込めた。

 志布志市で生まれ育ち、2歳の頃、脊髄性小児まひを患って両脚が不自由になった。松葉づえで生活しながら学校に通ったが、学校側の方針で、体育の授業はいつも見学。「スポーツの場に居場所はない」と諦めてきた。

 東京経済大を卒業後、帰郷して家業の酒店を継ぎ、仕事漬けの毎日を送った。「これといった楽しみはなく、淡々と生きていた」。転機が訪れたのは1997年の40歳頃だ。映画の西部劇を見て、幼少期から「格好いいなあ」と憧れていた射撃が、障害者向けの競技として存在することを知り、すぐに飛びついた。

 初めて競技用のエアライフルを手にした際は、「やっと射撃への夢がかなう」と喜びをかみ締めた。週に1度、鹿児島市の射撃場に通い約100発を撃ち込んだ。県ライフル射撃協会によると、県内の障害者で、競技者は岡留さんのみ。1年に3、4回ほど県外の合宿で指導を受ける以外は試行錯誤を繰り返し、自己流で腕を磨いた。

 競技歴が浅く、3年後のパラリンピックは「夢のまた夢」。しかし、30歳頃から始めていたアーチェリーの経験が大きく生きた。上半身を駆使して集中することは同じ。めきめきと頭角を現し、国際大会で好成績を挙げてシドニーへの切符をつかんだ。

 椅子に座りテーブルに肘を置いて構える「伏射」など2種目に出場。いずれもエアライフルで10メートル先の標的にある直径0・5ミリの中心点を狙い、4・5ミリの弾を撃った。メダル獲得はならなかったが、伏射で600点中593点をマークし、自己ベストを出した。

 「選手が障害の壁を越え、競技に汗をかく姿は美しい」。シドニーでの経験で、人間の無限の可能性を引き出すパラスポーツの魅力を実感した。既に第一線を退いており、来年の東京大会はテレビを見ながら応援するつもりだ。

 周囲から放たれた心ない言葉に苦しんだこともあった。「障害者がいて当たり前の社会になってほしい。メダルの色や数は関係ない。障害者は何でもできるんだ」と、1年後の大会に願いを込めた。

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760715 0 ニュース 2019/08/25 05:00:00 2019/08/25 05:00:00 2019/08/25 05:00:00 競技用ライフルを手にパラスポーツへの思いを語る岡留さん https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/08/20190824-OYTNI50046-T.jpg?type=thumbnail

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