車いすバスケ元代表 「金メダル期待」後輩激励

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 「今回の日本代表は、若手とベテランのバランスがいい。金メダルも十分期待できる」

 好調が続く車いすバスケットボール男子について、2000年のシドニー大会に出場した元代表の佐々木勝也さん(48)はエールを送る。

 現在は川崎市の車いすバスケチーム「川崎WSC」でプレーする佐々木さん。東京都で生まれ育ち、高校時代に同市に引っ越してきた。小中学校でサッカー、高校でラグビー部に所属。しかし、高校1年の冬にバイクを走らせていたところ、飛び出してきた車を避けようとして転倒、脊髄を損傷した。

 気がついたらベッドの上で、胸より下の感覚がなかった。多感な時期。退院しても車いす姿を見られるのが恥ずかしくて、外出する機会も減った。「車いすバスケがなかったら、再び外に出ることはなかったと思う」と振り返る。

 運命の出会いは、高校卒業後に通った市の就職支援講座がきっかけだ。講師だった川崎WSCのコーチに誘われた。運動は得意だったはずが、車いすをこぎながらのボールさばきに大苦戦。手はマメだらけで自信をなくし、「(体育館への)道に迷った」とうそをついて練習をサボったこともある。それでも届かなかったシュートが入り、速く車いすを動かせるようになると、のめり込んだ。

 バスケに専念するため、25歳で仕事を辞めた。貯金を取り崩しながら日中は一人でシュート練習、夜は様々なチームの練習に参加して技を磨いた。約2年後の2000年、無名選手の日本代表選出は話題になった。

 得意技は鋭いドリブル。障害が重い佐々木さんの持ち点は当時、1・5点と低かったため、試合では障害が軽く、素早く動ける選手にシュートを打たせようと考えて動いた。監督からも「バスケットをよく理解している」と評価された。

 シドニー以降は競争がしれつで代表入りは果たせなかったが、現在も会社勤めをしながらプレーを続ける。「自分はまだまだうまくなれる。なんであのおじさんに勝てないんだろう、と思われるいぶし銀になりたい」と笑う。後輩の雄姿に刺激を受けて、生涯、ゴールを狙い続けるつもりだ。

 車いすバスケットボール パラリンピックの花形競技で「車いすの格闘技」とも言われる。コートの大きさやゴールの高さは健常者のバスケと同じだが、ボールを持ったまま2回、車輪をこげるなど車いすならではのルールがある。

 選手は障害の程度で重い方から1.0~4.5の持ち点で分けられ、コート上の5選手の合計が14点以内になるよう編成する。障害が軽く持ち点が多い選手は攻撃での活躍が期待され、障害が重い選手は守備が重視されるなど役割は様々。バランスの良いチーム編成が重要となる。

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