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アルペンスキー女子回転(座位)、2回目で滑走する田中選手(12日、延慶・国家アルペンスキーセンターで)=高橋美帆撮影
アルペンスキー女子回転(座位)、2回目で滑走する田中選手(12日、延慶・国家アルペンスキーセンターで)=高橋美帆撮影
出発前に色紙を贈る小池選手(左)と牧野院長(牧野院長提供)
出発前に色紙を贈る小池選手(左)と牧野院長(牧野院長提供)

 13日に閉幕した北京パラリンピックで、厚木市出身の田中佳子選手(46)が、アルペンスキー女子スーパー複合(座位)で4位になるなど3種目で入賞を果たした。田中選手が競技を始めるきっかけとなった県総合リハビリテーションセンター(厚木市)は、下肢障害者用のスキーとして今や当たり前になったチェアスキーの“発祥の地”だ。(小松大樹)

 田中選手が同センターの沖川悦三さん(62)を訪ねたのは約20年前。先天性の病気で3歳の時に両膝から下を切断しており、訪問当初は「障害者でもスキーがしたい」と義足で立位のスキーをしようと挑戦。だがうまく器具が作れなかった。そこで沖川さんがチェアスキーを提案した。

 チェアスキーは、1975年頃から同センターのエンジニアが患者からの要望で開発を始め、80年に1号機が完成していた。田中選手は沖川さんの手ほどきで着々と実力をつけ、2006年のトリノパラリンピックから3大会連続で出場。14年のソチ大会で7位入賞し、2大会ぶり4回目の出場となった今回、過去最高の成績となった形だ。

 センター1階に、「チェアスキー発祥の地」と書かれた記念碑と並び、最新型のチェアスキーが飾られている。沖川さん自身も乗ってみた経験があるが、地面が近いため、立位とは比べものにならないスピード感だったという。「とても怖くてできなかった。この恐怖心に打ち勝つことができない限り、競技としてチェアスキーを続けることは到底できない」と語る。

 雪山は段差も多く、リスクだらけ。リフトに向かうなど、会場内を移動するだけでも、健常者とは圧倒的に負担が違う。さらに、トップアスリートとしてパラ大会に出るには、海外を拠点として国際大会でポイントを稼ぐ必要があり、金もかかる。

 アルペンスキーは自然が相手のため、天候や雪の状態、ハプニングへの対応力が求められ、経験が長いほど有利とされる。「佳子ちゃんのように何十年も競技を続けるには多くの苦労があったはずで、意欲を保つだけでも難しいこと。本当に頭が下がる」と語る。

 今大会、この競技では、村岡桃佳選手が金メダル3個を含む計4個のメダルを獲得。日本人選手の活躍を振り返り、沖川さんは「チェアスキーに励む選手たちの気持ちを前向きにしてくれることはもちろん、競技環境の向上という意味でも支えになるはず」と話した。

 アルペンスキー(立位)男子には、横浜市在住の小池岳太選手(39)が5種目に出場し、大回転で14位になった。小池選手が3年前にけがをして以来、体のケアに当たってきた竹虎接骨院(都筑区)の牧野竹虎院長(51)は「滑りから攻める気持ちなど様々な思いが伝わり、エネルギーをもらった」とねぎらった。

 長野県出身の小池選手はJリーガーを目指していた20歳の時、バイク事故で左腕を負傷し、まひが残った。気持ちを切り替えてスキーに転向し、パラリンピックには2006年トリノ大会以来5大会連続で出ている。

 東京パラリンピックの自転車競技に挑戦しようと19年に練習中、落車して骨折し、同院を訪れた。小池選手は「ここが一番、変化を実感できる」と一時は連日来院するようになった。スキーの再開後も、合宿前後などに「体がボロボロだけど、練習できるようにしてほしい」と定期的に訪れた。その姿勢を振り返り、牧野院長は「常に追い込んでレベルアップを目指していた」と語る。

 小池選手は「覚悟を決めて攻め抜く」と書いた色紙を渡し、その表情で北京に旅立った。普段は優しい笑顔の小池選手のアスリートの一面を感じさせられた。

 悲願のメダルには届かなかったが、牧野院長は「やらなければいけない時に迷わず攻めることを教わった。来院したらお疲れさまと伝えたい」と話した。

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2836761 0 ニュース 2022/03/15 05:00:00 2022/03/15 05:00:00 2022/03/15 05:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2022/03/20220315-OYTNI50003-T.jpg?type=thumbnail

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