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秋めいたかと思えば、夏のような暑さになって驚くこともあったが、寂庵の庭にはちゃんと季節の花木が咲いている。時期になったら咲く、その規則正しさに生命の巡りを感じる。

ムラサキシキブ、フジバカマ、シュウメイギクなど、少しずつ花が咲き始めてきた。庭を見るのが好きな瀬戸内寂聴先生は、いつも「死ぬなら病院より寂庵。こんないいところないよ」と言う。
寂庵にきた当初、花より団子だった私も、今や花木で季節を感じられるそのすばらしさを実感している。先生と何度一緒に庭を眺めただろう。だいたい先生は花の名前を
コロナで騒がしい世の中とは違い、寂庵はいつも静寂だ。耳をすませば鳥の声が聞こえるし、情勢を気にも留めないかのように、花々は次々と咲き誇る。一歩足を踏み入れれば別世界。それはまるで、桃源郷のよう。

そんな先生が最近しきりに言うことがある。寂庵を保育園にしたいと言う。私が常々、息子を保育園に預けられるから仕事ができる、と言うのを覚えているのだ。「ここの木を切って、運動場にして、滑り台やブランコを置いて……」「子ども用のトイレも作らないと。池は危ないからやめましょう」などと話し合う。
私の息子が生まれるまで、小さな子どもと縁がなかった先生は以前なら思いつかなかっただろう。けれど、この寂庵の庭を運動場にするのか……もったいない。
詳しいことも決まらず、実現するとは思えない話だが、「あなたが園長先生ね! 私が死んでもここを保育園にすれば働けるでしょう?」と先生。私のことを心配してくれているけど、私が園長先生? 思わず笑ってしまう。
ここは環境もいいし、周りには新しい家も増えているし、保育園にはちょうどいいかもしれない。けれどやっぱり園長先生は、先生になってほしい。子どもたちが
(瀬戸内寂聴秘書・エッセイスト 瀬尾まなほ)