【未来世代】 生き方探して島に移住、東京生活「なんかおかしい」
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栄大吾さん 31
ひじきを刈り取ったばかりの磯を眺め、陽光の差す港の岸壁に腰を下ろす。パソコンを開けば、そこが栄大吾さん(31)の仕事場だ。BGMは波の音。ピーヒョロロとトンビの鳴き声も心地よい。
釣り
瀬戸内海に浮かぶ山口県の周防大島。栄さんがサラリーマン生活をやめ、移住して2年余りが過ぎた。島の広さは故郷の神奈川県横須賀市の1・4倍。人口は25分の1の1・6万人だ。
過疎が進む周防大島町の「集落支援員」として月約17万円の報酬で地域のホームページを作成し、住民の声を役場に届ける。また副業で動画の作成や空き家の解体など収入になるなら何でも請け負う。栄さんは、いくつもの
日本政策投資銀行財務部副調査役。移住前の栄さんの肩書だ。大学を卒業し2012年に就職した。
午前6時半に起床してマーケットをチェック。満員電車で東京・大手町の本社に出社し、日本経済を背負う大企業に融資や投資を提案し、プレゼン資料を作成した。帰宅する頃には日付が変わる日々だったが、やりがいはあった。年収は30歳代になれば1000万円超。政府系金融機関として、地域経済の活性化などに携われるのも
ただ少しずつ疑問が湧いてきた。きっかけは広島県での2年間の勤務だ。家賃は安く緑も多くて暮らしやすい街。でもどの企業も人口減で将来が厳しく、試算すると、30年頃には規模を縮小せざるを得ない。
一方で、東京での自分の将来も試算した。生涯年収で3億円を得たとして、都心では手狭な住宅でも7000万円。庭付きの暮らしは夢のまた夢だ。
「なんかおかしくないか」
地方での暮らしに関心が芽生えていた28歳の時、地方活性化をテーマにしたエコノミスト・藻谷浩介氏の講演を聞いた。「いつまで地方創生をやったふりしているんだ」という一言に、思いがはじけた。
「会議室で議論したって答えは出ない。現場で探そう」。そう考え東京・有楽町での地方移住セミナーに足を運んだ。出会った周防大島町の職員は、アロハシャツ姿でニコニコしながら、覚悟を試すようにこう言った。「田舎暮らしって甘くないですよ」。率直な姿勢に、「この人たちと一緒に挑戦しよう」と決心した。
今は海が見える木造2階建てで妻と2人で暮らす。家賃3万円で駐車場、庭、畑つき。年収が4分の1になっても焦りはなかった。
ご近所つきあいで信頼を得て、仕事の依頼を受ける。夏は草刈りに汗を流し、冬はかじかんだ手でひじきを袋に詰める。巡る季節と天候に合わせた生活リズム。グラフの変化に企業の成長を確かめていた時とはまた違う、確かな手応えがある。
10~30年後、日本では都市部も含め未曽有の人口減少が始まる。「右肩上がりの成長は、いずれ行き詰まる」と栄さんは考えている。
自分たちはどこを目指すべきなのか。潮風に吹かれる島で、答えに近づいている気がする。(中田智香子 30歳)
精神的な豊かさ求める
日本の人口は2005年にマイナスに転じ、現在は人口減が顕在化している。
経済では1990年代初頭にバブルが崩壊し、「失われた20年」が始まった。今の30歳代前半が就職したのは2008年のリーマン・ショック後で、若い世代の貧困、世代間格差などが課題になり始めた頃にあたる。
NPO法人ふるさと回帰支援センター(東京都)の