宝物のちから<上> 疫病克服 希望の輝き、食器小型化「新しい生活様式」…第73回正倉院展

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出展される「白瑠璃高坏」。大仏開眼会で献納された宝物の一つだ
出展される「白瑠璃高坏」。大仏開眼会で献納された宝物の一つだ

 第73回正倉院展は30日、奈良市の奈良国立博物館で開幕する。昨年に続いてコロナ禍の中での開催。いまと同じように疫病など国難が続いた時代の宝物は、私たちに何を伝えてくれるのか。歴史をたどり、そこに宿る思いを探る。

 壮麗な光景だったに違いない。史書・ 続日本紀しょくにほんぎ は「仏法が東方に伝来して以来、これほど盛大な 斎会さいえ はなかった」と記し、唯一無二のイベントだったと伝える。奈良時代中頃の752年、東大寺で催された大仏 開眼会かいげんえ である。

かつて盛大に大仏開眼会が営まれたと伝わる東大寺大仏殿(奈良市で)=中原正純撮影
かつて盛大に大仏開眼会が営まれたと伝わる東大寺大仏殿(奈良市で)=中原正純撮影

 聖武天皇が743年に発願して造立した大仏の完成を祝う式典で、国内外の1万人の僧侶らが参列、インドから来た 菩提僊那ぼだいせんな という高僧が大仏に目を入れる開眼師を務め、にぎやかな音楽や舞、仮面劇の 伎楽ぎがく が披露された。

 今年の正倉院展には関連宝物がそろって出展される。大仏に献納された「 白瑠璃高坏はくるりのたかつき 」「 瑪瑙坏めのうのつき 」「 水精玉すいしょうのたま 」などの品々、これらを収めた献物箱「 漆小櫃うるしのこびつ 」。当日の日付「天平勝宝四年四月九日」を記す木札も残る。いつ何のために存在したのかという由緒がわかるのも、正倉院宝物の大きな価値だ。

 そもそも大仏造立のきっかけは、相次ぐ国難を克服するためだったといわれる。

 日照りによる 飢饉ききん や地震に加え、とりわけ甚大な被害を及ぼしたのが、735~37年頃に流行した天然痘とみられる疫病だ。大陸から九州に持ち込まれたウイルスが各地に広がり、当時の人口約450万人のうち25~35%が死亡したと推定されている。

 「大仏は疫病をなくし、国を救いたいという願いを込めた象徴だった」と、古代史専門の舘野和己・大阪府立近つ飛鳥博物館長は話す。

 そして疫病終息から15年を経て営まれた大仏開眼会の意味をこうみる。「コロナ禍のいまになって考えると、ようやく疫病を克服し、世の中が良くなるとアピールする場でもあったのではないか」

 それだけに開眼会で献納された宝物は当代一の名品だ。透き通ったガラス製の「白瑠璃高坏」は、はるか西アジアからシルクロードを通ってたどり着いたとの説がある。先人たちもその輝きに希望の光を見たかもしれない。

 飯田剛彦・宮内庁正倉院事務所保存課長は「献納に際しては皆で国難を乗り越えようという思いもあったのではないか。正倉院宝物はそんな祈りと深く結びついており、いま困難に立ち向かう人の心の支えになれば」と語る。

 奈良時代中頃は、人々の暮らしにも変化があった。

 平城京跡の発掘調査ではこの時期、食器の大皿が減って小皿が中心になったことがわかっている。なぜ大皿に盛らず、小分けして食事をするようなサイズになったのか、理由は不明だった。

 土器に詳しい神野恵・奈良文化財研究所考古第二研究室長は昨年、はたと気づいたという。「つまり、これは新しい生活様式だと。コロナ禍を経験して初めて見えてきたことだった」

 当時の暮らしの貴重な痕跡を残す平城京跡は「地下の正倉院」ともいう。そこで出土した食器類と、大仏開眼会の献納宝物を重ねると、疫病を乗り越えていく先人たちの着実な歩みが見える。

 奈良時代の疫禍を小説で描いた直木賞作家・澤田 瞳子とうこ さんは、思いを巡らせる。「世の中がどれだけつらい状況でも人々は生きたということ。宝物はそれをイメージできるありがたいものだ。私たちはあの時代の人々に励まされているように感じる」

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