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伝統工芸 日々研さん

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 ◇土佐硯職人 壹岐一也さん 41

土佐硯の世界に飛び込んだ壹岐さん(三原村で)
土佐硯の世界に飛び込んだ壹岐さん(三原村で)

 かつて「書道」の授業で小学生の必需品だった石のすずりは、軽くて丈夫な樹脂製に取って代わられた。パソコンやスマートフォンの普及で、筆で文字を書くこと自体が減り、硯の需要も大きく低迷する中、伝統工芸品である「土佐硯」の世界に久しぶりの若手職人が三原村に誕生し、腕を磨いている。

■自分探し

 同村とは縁もゆかりもない三重県出身。名古屋大学の大学院で細胞生物学を研究していたが、24歳で東京の医学書専門の出版社に就職した。収入もあり暮らしは安定していたが、働き出して10年ほどたった2011年に東日本大震災が発生。被災地の惨状を知り、有給休暇をとって宮城県石巻市や福島県南相馬市で、ひたすら被災した民家の後片づけを手伝った。「大切なことを置き忘れていないか」と思いはじめ、震災から1年後、会社を辞め旅に出た。

 旅先は、主にヨーロッパからアジアまでのユーラシア大陸で、旅は断続的に約2年間にわたった。ネパールでは現地の人と親しくなり、夕食に招かれた。外国人登山家が増え、商品があふれるようになっていたが、「地べたで煮炊きをして暮らす家族が幸せそうだった」と振り返る。

壹岐さんが手がけた硯
壹岐さんが手がけた硯

 帰国後、田舎での暮らしを考え、京都や伊豆、弘前、函館などの有機農業を営む農家に住み込み、農作業を手伝い、〈定住の地〉を探した。

■硯との出会い

 14年秋には、お遍路を始めた。途中、県庁を訪れ、移住について相談したところ、土佐硯職人の後継者を探す三原村を紹介され、村と県の支援を受けながら、「三原硯石加工生産組合」で、硯づくりの修業を始めた。

 切り出された原石を、のみとグラインダーで削って形にし、ヤスリと砥石といしで磨き、漆黒の硯に仕上げる。修業から半年で、一通りの工程を覚え、1年後、知人に自作の硯を初めて1万円で買ってもらえた。指導する榎喜章組合長(74)は「のみこみは早いが、硯に個性を出していくのは、これからだ」と話す。

 1週間で作ることのできる硯は2個どまりで、売れるのは、せいぜい月に1、2個。価格は1万~2万円だから、家庭教師などの仕事を掛け持ちしている。独り身でも暮らしぶりは決して楽ではないが「生活の支えだけでなく、知り合いも増えた」とあくまで前向き。土佐硯をPRするために、ホームページも開設した。

 最近、書道を習い始めた。「書道は奥が深い芸術。だからこそ、伝統工芸の硯作りを守っていきたい」と力を込める。(広浜隆志)

 ◆土佐硯 三原村での硯づくりは、550年前、応仁の乱の戦火から逃れてやってきた前関白一條教房が良質の硯石を見つけ、愛用したことが始まりとされる。1966年、村職員で書家の新谷健吉さん(故人)が、同村下切の県道工事現場で、硯に適した黒色粘板岩を再発見した。当初、新谷さんら数人が硯を製作しているだけだったが、82年に県や村、宿毛営林署などの支援で、「三原硯石加工生産組合」が設立された。最盛期には20~25人の職人がいたが、高齢化が進み、現在の組合員は壹岐さんを含めて6人。土佐硯の購入や問い合わせは、土佐硯加工製作所(0880・46・2730)。

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13350 0 人あり 2018/03/18 05:00:00 2018/03/18 05:00:00 「人あり」壹岐一也さん(三原村で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180317-OYTAI50006-1.jpg?type=thumbnail

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