「ニコ先生」生きた証しを 教え子ら記念碑

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二子石隆範さん(家族提供)
二子石隆範さん(家族提供)

 「お前たちは俺の宝だ」――。2003年に悪性腫瘍で死去した県立御船高校教諭・ 二子石隆範ふたごいしたかのり さん(享年33歳)の教え子たちが、母校が今年度に100周年を迎えたのを機に今秋、恩師の記念碑を寄贈する。闘病を隠し、全力で向き合ってくれた生き方を通し、志を持つことや人を思いやる大切さを教えてくれた「伝説の教師」との絆は、20年近くたっても色あせない。

 二子石さんの愛称は「ニコ先生」。名字の漢字の読みや、いつもにこやかだった表情からそう呼ばれ、生徒らに慕われていた。

 記念碑の寄贈を企画したのは、二子石さんが初めて担任として卒業させた「3年1組」のメンバーら。そのうちの一人、本田健輔さん(38)(御船町)は、卒業時に植樹したウメモドキの木を亡き恩師に重ねてきたが、うまく育たなかったため、「ニコ先生の生きた証しを残したい」と思っていた。

 100周年を機に、1組のメンバーが中心となって、二子石さんを尊敬していた教諭らの協力も得て、似顔絵などを刻んだ記念碑と、植樹用のキンモクセイを同校に寄贈することになった。

 本田さんは高校1年から3年まで、ずっと二子石さんが担任だった。植木鉢の水やりを命じられた時のことをよく覚えている。「花にとって水は命。責任感があるお前だからこそ任せたんだ」と声をかけてくれた。

 3年の時、たばこを吸って停学になった時も温かかった。厳しく 叱責しっせき されたが、卒業のため大切だった直後のテストだけは受けられるよう校長を説得してくれた。反省のために自ら課した3000段を超える石段上りも、一緒に上ってくれた。

 記念碑に優しい表情の似顔絵を描いたのは、3年1組だった岩永みほさん(38)(熊本市)。「私生活よりも、生徒が一番の人だった」と振り返る。

 文化祭でタコ焼きの屋台を企画した時のこと。日曜の朝に突然、「修業だ」と生徒たちを車に乗せて向かったのはタコ焼き屋。店に頼み込み、特訓の場を設けてくれていたのだ。

 <その一歩が君を大きく変える>

 <勝つことより、負けない君はすごい>

 <馬鹿でもいい、馬も鹿も人間と同じ生き物だ>

 通知表の片隅にあった温かい言葉も、教え子たちの記憶に残っている。

 岩永さんは「先生のように、人を信じ、思いやれる人になりたい」と力を込める。

 3年の2学期、二子石さんに悪性腫瘍が見つかった。長期の休みを強いられたが、詳しい病状は伝えていなかった。生徒たちには動揺が広がったが、「ニコ先生を安心させるため、いつもの自分たちでいよう」と心を一つに過ごしたという。

 復帰後も休みがちだったものの、3月1日、卒業式にニコ先生の姿はあった。

 「一番大事な時に、そばにいられなくてすまなかった。でもみんなを送り出すことが最大の夢だった。お前たちは俺の宝だ」。式後のホームルームで、二子石さんは泣き崩れた。1年後の03年3月8日、33歳の若さで亡くなった。

 志を持つことや、人を思いやる大切さを学んだという本田さん。菓子製造会社に就職し、今では経営の一端を担う責任者として会社を支えている。

 「そっちに行った時は、少し遅めの同窓会をしたい。言えなかった『ありがとう』を直接伝えたいですね」。本田さんは空を見上げながら語った。

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