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「お前たちは俺の宝だ」――。2003年に悪性腫瘍で死去した県立御船高校教諭・
二子石さんの愛称は「ニコ先生」。名字の漢字の読みや、いつもにこやかだった表情からそう呼ばれ、生徒らに慕われていた。
記念碑の寄贈を企画したのは、二子石さんが初めて担任として卒業させた「3年1組」のメンバーら。そのうちの一人、本田健輔さん(38)(御船町)は、卒業時に植樹したウメモドキの木を亡き恩師に重ねてきたが、うまく育たなかったため、「ニコ先生の生きた証しを残したい」と思っていた。
100周年を機に、1組のメンバーが中心となって、二子石さんを尊敬していた教諭らの協力も得て、似顔絵などを刻んだ記念碑と、植樹用のキンモクセイを同校に寄贈することになった。
本田さんは高校1年から3年まで、ずっと二子石さんが担任だった。植木鉢の水やりを命じられた時のことをよく覚えている。「花にとって水は命。責任感があるお前だからこそ任せたんだ」と声をかけてくれた。
3年の時、たばこを吸って停学になった時も温かかった。厳しく
記念碑に優しい表情の似顔絵を描いたのは、3年1組だった岩永みほさん(38)(熊本市)。「私生活よりも、生徒が一番の人だった」と振り返る。
文化祭でタコ焼きの屋台を企画した時のこと。日曜の朝に突然、「修業だ」と生徒たちを車に乗せて向かったのはタコ焼き屋。店に頼み込み、特訓の場を設けてくれていたのだ。
<その一歩が君を大きく変える>
<勝つことより、負けない君はすごい>
<馬鹿でもいい、馬も鹿も人間と同じ生き物だ>
通知表の片隅にあった温かい言葉も、教え子たちの記憶に残っている。
岩永さんは「先生のように、人を信じ、思いやれる人になりたい」と力を込める。
◇
3年の2学期、二子石さんに悪性腫瘍が見つかった。長期の休みを強いられたが、詳しい病状は伝えていなかった。生徒たちには動揺が広がったが、「ニコ先生を安心させるため、いつもの自分たちでいよう」と心を一つに過ごしたという。
復帰後も休みがちだったものの、3月1日、卒業式にニコ先生の姿はあった。
「一番大事な時に、そばにいられなくてすまなかった。でもみんなを送り出すことが最大の夢だった。お前たちは俺の宝だ」。式後のホームルームで、二子石さんは泣き崩れた。1年後の03年3月8日、33歳の若さで亡くなった。
志を持つことや、人を思いやる大切さを学んだという本田さん。菓子製造会社に就職し、今では経営の一端を担う責任者として会社を支えている。
「そっちに行った時は、少し遅めの同窓会をしたい。言えなかった『ありがとう』を直接伝えたいですね」。本田さんは空を見上げながら語った。