止まらぬ映画愛 形に

無断転載禁止
メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

◇会社社長兼映画プロデューサー 志摩敏樹さん 55

「映画にしかないもの、映画館にしかないものを伝え続けたい」と話す志摩さん(上京区の出町座で)
「映画にしかないもの、映画館にしかないものを伝え続けたい」と話す志摩さん(上京区の出町座で)

 「確かに自分が何屋なんか分からなくなることはあるなぁ」。建設機械販売会社の社長に映画館運営会社の代表、そして映画プロデューサー。一見、畑の違う仕事だが、全てに通じることがある。「自分がやりたいこと、やれることをやる」という強い信念だ。

 黒沢明監督の名作、ブルース・リーのカンフー映画、勝新太郎の時代劇――。中学生の頃には映画に夢中で、テレビや映画館で手当たり次第見まくった。「当時は映画が娯楽の王様で、自然と好きになった。舞鶴市内にも5、6館は映画館があったな」。大学受験で東京に約1か月間滞在した時も、地元になかった名画座に感動し、「戦艦ポチョムキン」や「ツィゴイネルワイゼン」など10作品以上を鑑賞した。「何をしに行ったのか分からないほどだった」と笑う。進学した明治大ではシネマ研究会に所属。8ミリカメラで映画作りに熱中し、ピンク映画の現場でバイトもした。

 卒業後も東京で映画を仕事にするつもりだった。ただ、建設機械販売会社を経営する父の「舞鶴に戻れ」という言葉をはね返せなかった。地元に戻って就職し、建設現場を回って、建設機械の営業などに汗を流した。27歳の時に父親が急逝。責任とともに仕事で手いっぱいになり、映画もほとんど見なくなった。

 帰郷して15年たった1999年。映画好きの友人を通じて映画への出資話が舞い込んできた。作品は昭和から平成にかけて活躍した相米慎二監督の遺作「風花かざはな」。迷いなく決断した。「ずっと好きだった『相米慎二』だったからとしか言いようがない」。映画への熱い思いが、再びわき上がってきた。

 舞鶴を舞台にした2003年の「ニワトリはハダシだ」は、喜劇タッチながら様々な社会問題を映画に入れ込む「ごった煮映画」の名手として知られる森崎東監督を自ら口説き、多くの制作費を出して初めて企画総指揮を務めた映画だ。監督と地元を一緒に歩くと、終戦直後に起こった浮島丸事件や北朝鮮の貨客船万景峰マンギョンボン号が港に出入りしていることが話題に上り、アイデアを刺激した。

 09年からは「京都連続」シリーズと題して、柴田剛監督ら関西の個性派若手監督と「堀川中立売」「天使突抜六丁目」「太秦ヤコペッティ」といった作品を制作。「若いヘンなやつらと一緒に京都から『なんかわからんけど突出した映画』を作りたかった」と振り返る。

 地域に根付くミニシアターの運営にも力を注いできた。07年、福知山市唯一の映画館で、休館していた「福知山シネマ」を復活。08年からは「舞鶴八千代館」を運営する。昨年12月には、上京区の出町桝形ますがた商店街に書店とカフェを併設する「出町座」をオープンした。娯楽の多様化やシネコン(複合型映画館)との競合など、映画館単体での経営は厳しい。それでも、地域で映画の灯をともし続ける決意は揺るがない。「子どもが映画を観たいと思った時、まちに映画館がなかったら悲しいやんか」

 度重なる災害で建設機械販売の仕事や映画館の運営で忙しく、最近は映画制作に手をつけられていない。だが、その顔をなくすつもりはない。「一筋縄じゃいかない、見たくないモノを見せるような映画を早く作りたい。制作に携わる若い人も育てなきゃ」。日本映画の歴史をはぐくんできた京都を北へ、南へ。熱い思いを胸に奔走する。

(小沢亮介)

 

◆しま・としき 1962年、舞鶴市生まれ。映画関連では出資、製作、配給から映画館の運営まで行う「シマフィルム」代表。自己評価は「斜に構えた映画好き」。

41146 0 きょう・人・十色 2018/09/17 05:00:00 2018/09/17 05:00:00 「娯楽が多用する中で、映画にしかないもの映画館にしかないものを伝え続けたい」と話す志摩さん。(上京区の出町座で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180916-OYTAI50006-T.jpg?type=thumbnail

おすすめ記事

アクセスランキング

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)
ページTOP
読売新聞社の運営するサイト
ヨミダス歴史館
ヨミドクター
発言小町
OTEKOMACHI
元気ニッポン!
未来貢献プロジェクト
The Japan News
美術展ナビ
教育ネットワーク
活字・文化プロジェクト
よみうり報知写真館
読売新聞社からのお知らせ