<3>時代劇 残すべき財産

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「多十郎殉愛記」の撮影で使った東映太秦映画村のオープンセットを歩く中島監督(右京区で)
「多十郎殉愛記」の撮影で使った東映太秦映画村のオープンセットを歩く中島監督(右京区で)
高良さんに演出をつける中島監督(左)(c)『多十郎殉愛記』製作委員会
高良さんに演出をつける中島監督(左)(c)『多十郎殉愛記』製作委員会

 ◇映画監督 中島貞夫さん84

 ◇教え子と撮影「楽しかった」

 映画監督の中島貞夫さん(84)は、日本映画発祥の地とされる京都から、半世紀以上にわたって幾多の作品を世に問うてきた。4月に公開を控える約20年ぶりの新作長編劇映画は、原点とも言えるチャンバラ時代劇。大ベテランは映画を通じ、次の時代に何を伝えたいと考えているのだろうか。

 ◇

 若い頃はマンネリだと反発もしたけど、時代劇は京都の映画界にとって間違いなく財産だから。殺陣たてができる俳優さんが年をとって動けなくなって、金がかかるからって本数も減った。今、やらないと本当になくなっちゃうなと。徹底的にチャンバラにこだわった。

 〈新作の「多十郎殉愛記」は、幕末の京都を舞台に、高良健吾さん演じる主人公が刀を頼りに生き抜くさまを描く。「時代劇の継承」を掲げ、東映京都撮影所を拠点とする殺陣技術集団「東映つるぎ会」のベテランが、若手俳優をみっちり特訓した〉

 京都映画祭(現・京都国際映画祭)で2004年にチャンバラ映画の特集をやった時、外国からのゲストが「あれは最高の身体パフォーマンスじゃないか」と。若い頃に嫌というほど仕込んでもらったマキノのおやじ(マキノ雅弘監督)も「活動写真は動きが面白くなきゃダメだ」って口酸っぱく言っていてね。

 形骸化したチャンバラは面白くなくて、鬼気迫る命のやり取りを描きたかった。それには、斬られ役一人一人にもドラマが感じられないと。それが刀を抜く所作一つにも出てくるからね。

 ◇

 〈戦前から映画会社が多くの撮影所を構え、太秦は「日本のハリウッド」とも呼ばれたが、今は制作が東京中心になり、京都で作られる作品は少なくなった〉

 私が東映に入社した当時は、東映だけで年間100本作っていて6割が京都。月に8本作らないとダメだから、パターン化されていたところもあって、これじゃダメだと若手で集まってシナリオを書く会をやったりしていたんだけども。

 平成になって、そんな本数を作れるような時代じゃないけど、京都の現場は変わらないよ。「活動屋意識」っていうのかな。東京は仕事って感じが強いけど、地理的に役者もすぐに帰れないっていうのもあって、京都は夜も飲みに行ったりして関係ができるんだな。演出家と俳優が「こいつは何考えているんやろう」ってお互いに感じられないと、現場がバタバタしていいものは作れないから。その面では良いと思うね。

 〈1987年に大阪芸術大の教授に就任するなど、後進の育成に力を注ぎつつ平成を歩んだ。「多十郎殉愛記」では教え子の熊切和嘉監督が補佐を務めた〉

 学生を教えたり、映画祭の運営をやったりで時間がなくて、劇映画制作から遠ざかっていたんだけど、熊切ら教え子と撮るのは刺激があって楽しかったなあ。

 若いスタッフもみんな頑張ってくれた。でも、例えば衣装なんかは役の衣装が作れているかといえば、そうではなかった。違和感はないものを作れるんだけど、その先のキャラクターの状況や心情を読み取って細かい所を遊んでみるとかね。これは数をこなさないといけない面もあるけど。

 若い人にはとにかく新しいものを作ってもらいたい。同じ京都を撮るにしても、見たことのない場所、見たことのない表情を引き出してほしいな。(聞き手・小沢亮介)

 ◇ロケ誘致で地域活性

 2000年代に入り、映画の撮影支援などを行う「フィルムコミッション」の設立が各地で相次ぎ、地域活性化の切り札の一つとしてロケを誘致する動きが広がった。府内でも特にここ数年、京都市以外の自治体で話題作の撮影が次々と行われている。

 舞鶴市は旧海軍施設を生かし、戦争物から近世ヨーロッパをモチーフにした実写化作品まで幅広い題材に対応。終戦の舞台裏を描いた「日本のいちばん長い日」(15年公開)や、俳優の岡田准一さん主演の「海賊とよばれた男」(16年公開)、人気漫画を実写化した「鋼の錬金術師」(17年公開)などが撮影された。同市では、ロケ地マップを作成するなどして観光につなげる取り組みも進めている。

 また、京丹波町は広大な空き地をアピールし、「本能寺ホテル」(17年公開)の寺を燃やすクライマックスシーンが撮影されたほか、縁切り寺を舞台にした時代劇「駆込み女と駆出し男」(15年公開)は長岡京市の寺社でロケが行われた。

 ◆なかじま・さだお 1934年、千葉県生まれ。東京大文学部に在学中は「ギリシャ悲劇研究会」に所属した。59年に東映に入社した際、「ギリシャ悲劇は古典だから時代劇だ」との理由で京都撮影所に配属。以来、京都を拠点に、監督デビュー作の「くノ一忍法」(64年)や「893愚連ぐれん隊」(66年)、「狂った野獣」(76年)など時代劇からやくざ映画、ドキュメンタリー、文芸映画まで幅広い作品を手がけている。京都国際映画祭の名誉実行委員長も務める。

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60946 0 平成@Kyoto 2019/01/04 05:00:00 2019/01/04 05:00:00 最新作の撮影が行われた映画村のオープンセットを歩く中島監督(右京区で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20190103-OYTAI50038-T.jpg?type=thumbnail

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