幻の寺 時代に翻弄

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西寺の復元イメージ。左端に描かれているのが五重塔(梶川敏夫・元京都市考古資料館長作成)
西寺の復元イメージ。左端に描かれているのが五重塔(梶川敏夫・元京都市考古資料館長作成)
西寺跡で見つかった五重塔跡。手前の黒丸、奥は東寺の五重塔(南区で、本社ヘリから2019年10月23日撮影)
西寺跡で見つかった五重塔跡。手前の黒丸、奥は東寺の五重塔(南区で、本社ヘリから2019年10月23日撮影)

西寺

東寺とともに造営

 府民でなくとも、五重塔といえば、世界遺産・東寺(南区)を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。JR京都駅に近く、古都の玄関口を飾る仏塔として、その荘厳なたたずまいが多くの人々の記憶に刻まれ、世界中から観光客が訪れるランドマークとしても定着している。

 東の寺があれば、西の寺は存在しないのか。実は平安遷都を機に、桓武天皇は、都の入り口「羅城門」を挟んで東西に寺を造営。かつては西寺もあったが、姿を消した。

 奈良時代、平城京では寺院が権力を持ち、政治と深く関わり、様々な腐敗をもたらした。その教訓から、桓武天皇は平安京内では、国が運営する官寺として創建された東寺と西寺の二つの寺しか認めなかった。

焼け落ちる

 東寺は823年に弘法大師空海に下賜され、真言宗の拠点として、庶民信仰のよりどころとなり、現代まで続いている。一方、西寺は990年に五重塔以外の大部分が焼失し、五重塔も1233年に焼け落ち、以降は再建されていない。

 西寺跡は国の史跡に指定されており、1959年から39次にわたる発掘調査が行われ、その伽藍がらんは細かい違いがあるものの、東寺とほぼ左右対称に配置されていたことが裏付けられてきた。

少しずつ解明

 近年の発掘調査で西寺の主要な建物跡を示す遺構が次々と見つかっている。京都市は史跡の保存活用計画を策定するため、2018年度から3か年の調査を行い、主な建物である講堂、東寺と対をなした五重塔の遺構などを発見。幻の寺の謎が少しずつ解明されてきている。

 京都産業大の鈴木久男教授(考古学)は「同じ年によーいドンで造り始めた寺で、完全に左右対称だと予想されてきたが、この3年の調査で細かな違いがあることがわかり、復元も可能なほど、実態がつかめてきた。五重塔跡の発見も何度も失敗を繰り返し、大発見にたどり着いた。現場へ足を運ぶたびに新たな発見があり、感激の連続で、『継続は力なり』ということを実感した」と話す。

 時代に翻弄ほんろうされ、姿を消した西寺。東西で明暗を分けた名刹めいさつの現代まで続く物語をひも解いていく。(辰巳隆博)

初の国指定史跡

 東寺と西寺は794年の平安京遷都に伴い、国が796年頃から造営を始めた。823年には当時の高僧だった空海に東寺を、守敏に西寺を与えた。

 西寺は特定の宗派を持たない国家の寺として発展し、全国の僧侶を統括し、僧位の認定を行い、歴代天皇の命日には法事「国忌」を開くなど、東寺よりも、やや格が高かったとされる。

 西寺跡は初の国指定の史跡でもある。文化財保護法の前身の一つ「史蹟しせき名勝天然紀念物保存法」が1919年に施行され、21年には史跡指定の第1弾として、西寺跡を含む48件が選ばれた。

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1642556 0 New門@京都 2020/11/21 05:00:00 2020/11/21 05:00:00 2020/11/21 05:00:00 西寺の想像図(梶川敏夫さん作成)西寺の復元イメージ。左端に描かれているのが五重塔(梶川敏夫・元京都市考古資料館長作成)西寺の復元図。左端に描かれているのが五重塔(梶川敏夫さん作成) https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/11/20201120-OYTAI50011-T.jpg?type=thumbnail

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