<2>自分 偽らず過ごす

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夜の街で働いていた頃。化粧やおしゃれを覚え、女性として生きられる喜びをかみしめていた
夜の街で働いていた頃。化粧やおしゃれを覚え、女性として生きられる喜びをかみしめていた

性別適合手術 戸籍上も女に

 ゲイ(男性同性愛者)の街として知られる新宿2丁目にあこがれ、20歳で上京したトランスジェンダーの岩本弥生さん(52)(右京区)。バブル景気の1988年、ネオンが七色に輝く街で、「女性」としての人生を歩み始めた。

 角刈りだった髪を胸元まで伸ばし、真っ白なファンデーションに赤い口紅。あの日ブラウン管で見た「ミスターレディー」がおしゃれの手本だった。はやりのボディコンに身を包み、気兼ねなく外を歩いた。

 働いていたショーパブでは、きらびやかな衣装を身にまとい、ステージで踊った。当時は性的マイノリティーの公表が珍しい時代。「オカマ」を自称するタレントのブームも重なり、行く先々でもてはやされた。

 ただ、LGBTに対する理解や配慮はなかった。「オカマが歩いているぞ」。路上で嘲笑されることもあり、取っ組み合いのけんかで心も体も傷ついた。それでも、自分を偽らずに過ごせる日々だった。

 新宿、大阪、京都のキャバレーやショーパブを渡り歩いた。40歳が近づき、夜の仕事を辞めた。下戸でたばこも吸わない自分にとって潮時だと考え、子どもの頃から趣味にしていた鉄道ジオラマの貸し出しなどで生計を立てるようになった。

 女性として暮らすようになって20年が過ぎた2007年11月、友人に誘われて一緒に性別適合手術を受けた。「一緒だと割引になるっていいよね」。軽い言葉で友人の提案に乗った心の奥底には、おしゃれや化粧では隠せない、体へのコンプレックスがあった。

 長年、風呂の鏡を外していた。男性器がついた体を見ると、自分の心の性を否定されるように感じたからだ。手術で女性に一歩近づいたことで、ようやく体に向き合えるようになった。

 11年11月、性同一性障害の診断書を家庭裁判所に提出し、「隆弘」から、源氏名として使ってきた「弥生」に。戸籍上の性別も女になった。戸籍に記された長男の「男」の字には、朱色のサインペンで横線が引かれていた。「女性になりたい」――。あれだけ願った「女」は、余白に手で書き加えられている。昨日と同じ自分だった。

 ある日、友人に誘われて「関西レインボーパレード」に参加した。LGBT当事者らが、理解向上を訴えてパレードする行事だ。初めて虹色の横断幕を掲げる一団に加わって大阪・御堂筋に立った時、生き方を変える決心をすることになる。

 性別変更 19年度最多

 心と体の性が一致しない性同一性障害の人が戸籍を変更できるように定めた法律「性同一性障害特例法」が2004年7月に施行された。〈1〉2人以上の医師に性同一性障害の診断を受けている〈2〉20歳以上〈3〉独身〈4〉未成年の子がいない〈5〉生殖機能を失っている〈6〉他の性別の性器に近似する外観を備える――の6要件を満たせば、家庭裁判所に申し立てることができる。

 司法統計によるとこれまでに約1万人が性別を変更し、昨年度は最多の948件。性別適合手術を望まない人や、未成年の子を持ちながら変更を希望する人もおり、要件の緩和を訴える声が上がっている。

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1633810 0 七色をさがして 2020/11/18 05:00:00 2020/11/18 05:00:00 2020/11/18 05:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/11/20201117-OYTAI50018-T.jpg?type=thumbnail

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