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7年間トップの座/コロナ禍で「他の道に」
京都五花街の一つ、祇園甲部の
三角に折られた白い紙の真ん中に、廃業を知らせる「
大阪府藤井寺市で生まれ育った。着物が好きで、「毎日着られるの、いいなあ」と花街に憧れた。10年に中学を卒業し、翌年、舞妓としてデビュー。15年に芸妓となった。
そうした節目の時と同じく今月1日も、着付けを担当してくれた「
祇園甲部を代表する芸妓の一人となった近年は、「芸舞妓のなり手と、支えてくれる職人さんを少しでも増やしたい」と、SNSでファンにメッセージを送り、テレビ番組にも積極的に出演してきた。
ひたすら稽古とお座敷の毎日は、コロナ禍で一変した。周りの芸妓が英会話教室やジムに通い始めると、「私が新しくチャレンジできることは何だろう。他の道に進んでもいいんじゃないか」と考えるようになった。
ずっと「祇園という街の宴会が好きだった。お客さんとの距離感とか」。ところが、休業や時短営業を余儀なくされ、感染対策として返杯を自粛するなど、各花街は接客の仕方も見直さざるを得なかった。「コロナが収束しても、元に戻ることはないだろう。好きなままでいたい」。結婚、引退することを決めた。
全く別世界だった花街で10歳代半ばから過ごした11年間。行儀作法や会話の妙だけでなく、「我慢することも覚えました」と笑う。「高校、大学に行っても学べんことを学ばせてもらった。強くなったと思います」
引祝であいさつした