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びわ湖疏水船 大津閘門改修計画
京都―滋賀をつなぐ観光船「びわ湖疏水船」が67年ぶりに本格運航を再開し、今年で5年目を迎えた。乗船率は約95%、総乗客数は3万人を超える人気を集めているが、近年はコロナ禍の影響で運休することもあり、今春の客足も鈍い。運営に関わる京都市は財政難のなかで、大津
■コロナの影
快晴に恵まれた4月下旬、迎賓館赤坂離宮(東京)などを手がけた明治時代の建築家、片山東熊が設計した旧御所水道ポンプ室の脇を通り、ガイドの案内で船に乗り込んだ。
蹴上(山科区)を出発し、早速入った第三トンネルでは、かつてロープを伝って人力で船を進ませていたと聞き、時代の変化を感じた。トンネルを抜けた先の山科エリアには新緑があふれ、さわやかな向かい風が頬をなでる。水路の上からこちらを眺める住民らと手を振り合うのも楽しかった。
「高齢の父親が一度乗ってみたいと言うので」と話してくれたのは、家族3人で乗船した大津市の自営業大鋸敦子さん(50)。「疏水は幼い頃から身近な存在だったが、ガイドの丁寧な説明で理解が深まった。遊園地のアトラクションのような感覚も味わえ、想像以上に満喫できた」と笑顔を見せた。
航路は、大津から蹴上までの約8キロ。大津からの下り(定員12人)は水の流れに沿って約55分、流れに逆らう蹴上からの上り(定員9人)はエンジンを使うため約35分の船旅だ。料金は時期によって異なり、1人5000~8000円。春は桜や新緑、秋は紅葉が味わえる格別の景色やガイドの解説が評判となり、コロナ禍前は予約が殺到し、リピーターも多かった。
しかし、緊急事態宣言が発令された2020~21年は運航を一時休止。今年は制限こそないが、コロナの感染状況を注視してか遠方からの客足は減少ぎみだ。
■130年以上の歴史
琵琶湖疏水は1890年(明治23年)、明治維新後に衰退した京都の産業を復興するために造られ、主に農業用水や水力発電に活用された。舟運は翌91年に始まり、琵琶湖から蹴上にあるインクライン(船舶運搬用の傾斜鉄道)を経て鴨川に入り、大阪まで運航されたことも。米やレンガなどの建築資材を運んだほか、観光船も就航したが、不況や鉄道、自動車など他の交通機関が発達した影響で1951年を最後に途絶えた。
観光面での効果を期待する地元住民などの要望を受け、2013年に京都・大津両市長が試乗してから観光船再開の準備が加速。18年には、両市や滋賀県、京阪ホールディングスなどで作る協議会が春と秋の期間限定で定期運航を始めた。
■開閉自動化
船で琵琶湖へ――。東の起点となっている大津閘門の門扉改修と開閉自動化工事が始まる。
琵琶湖と疏水には約70センチの高低差があり、閘門で調整している。現在の門扉は設置から30年以上経過しているうえ、人力でしか開閉できず、1回約30分かかる。自動化できれば、数分で通過できるようになるという。
琵琶湖疏水が20年に日本遺産に選ばれて国の補助が受けられることになり、京都市上下水道局は「この機会を逃すと市の負担が増えるため、先送りは適切でない」と強調。2億8000万円を計上し、国からの補助1億8800万円を含む総額4億6800万円を事業費に充て、23年3月までに完成させる考えだ。
ただ、観光面で恩恵を受ける大津市にも費用負担を求めているのに対し、大津市の担当者は「検討中だが、原則的には京都市の水道施設という性質上、大津市が補助をすることは難しい」と話す。
両市とも大津港への延伸による効果には期待を寄せており、京都市の担当者は「パナマ運河のように閘門を通過する様子はきっと疏水船の魅力向上につながるはずだ」と期待している。