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<上>復帰前、習わなかった「沖縄戦」 間の世代「伝える」決意

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陸軍病院壕で起きた事実や語り継ぐ思いを中学生に伝える大城逸子さん(5月31日、沖縄県南風原町で)=清水敏明撮影
陸軍病院壕で起きた事実や語り継ぐ思いを中学生に伝える大城逸子さん(5月31日、沖縄県南風原町で)=清水敏明撮影
幼い頃に見たガマの光景を語る津覇実治さん(16日、沖縄県浦添市で)=久保敏郎撮影
幼い頃に見たガマの光景を語る津覇実治さん(16日、沖縄県浦添市で)=久保敏郎撮影

 「信じられないかもしれないけど、私は中学校で『沖縄戦』という言葉、習ったことがありません」

 5月31日、沖縄県 南風原はえばる 町立南星中。沖縄戦の際につくられた陸軍病院 ごう のガイドを務める大城逸子さん(62)は、初めて臨んだ平和学習の講話でこう前置きして語り始めた。

 米統治下の1958年に生まれた。近しい親類に沖縄戦の犠牲者はなく、両親が体験を語ることはなかった。72年の本土復帰は中学2年の時に迎えた。小中学校を通じて授業で教わったという記憶もない。

 吉浜忍・元沖縄国際大教授(沖縄近現代史)によると、復帰前の平和教育は沖縄返還交渉などが主流で、沖縄戦が重視され始めたのは70年代後半からだという。

 南風原町で病院 ごう のガイドを務める大城さんが初めて沖縄戦と向き合ったのは2007年、48歳のときだ。

 この年、乳児の頃の病気で重度の障害を負った長女ちなみさんが17歳で他界した。その5か月後、一般公開が始まって間もない「沖縄陸軍病院南風原壕群20号」のガイドに応募した。呼吸が止まっても6日目に意識が戻り、生死をさまよいながら懸命に生きようとした娘。「生きようとしても失われる命がある。なのに戦争は意味なく人を殺してしまう。命があるのは当たり前じゃないと伝えたい」。そう決意した。

 病院壕は、町中心部の「 黄金こがね 森」という緑豊かな小高い丘にある。子どもの頃の大城さんにとっては格好の遊び場だった。ススキの上を滑り台のように下り、中学校のバスケットボール部でランニングに通った。ただ、大きな穴が開いた壕にだけは、怖くて近寄らなかった。

 沖縄戦では、米軍の攻撃を避けるため、約30の横穴壕を掘って「病院」とした。ウミや排せつ物の臭いが充満する壕内で負傷兵がうめき、重傷者は配られた毒物で命を落とした。看護にあたった「ひめゆり学徒隊」の女子学生たちも砲撃などの犠牲になった。

 講座を経て、ようやく知った森の真実。活動を始めた数か月後、病院壕の近くに住む姉の義母にふと、「戦争の時はどうだった?」と尋ねた。「死ぬしがうれーまさたん(死ぬのがうらやましかった)」。真っ先に返ってきた言葉に背筋が凍る思いがした。

 姉の義母は沖縄戦当時10代後半。「鉄の暴風」と呼ばれた艦砲射撃の中を約10人で避難し、周りの人々が亡くなる中、「私が死んだ時は誰が見ていてくれるんだろう」と考えたという。「逃げながら、死ぬ人をうらやましいと思うなんて。『普通のおばあ』にそんなことを言わせるのが戦争なんだ」と思い知らされた。

 それからは、体験者たちの証言を胸に刻もうと、両親や義父母の「生の言葉」に耳を傾けた。夫の母は逃げ惑う途中で自身の父親と再会。だが、 瀕死ひんし の状態で、「おとう、どうやって生きていけばいいの」と声をかけながらみとっていた。住民の一人は病院壕の資材で家を建て、床に遺体の染みがあったと教えてくれた。

     ◎

 激戦地だった浦添市の前田高地を案内する戦後生まれのガイド・津覇 実治さねはる さん(74)も、米統治下の学校で沖縄戦を習った記憶がない。

 前田高地にある浦添城跡を小学校の遠足で訪れた時には、ガマ(自然壕)の穴からはみ出るほど折り重なった人骨を見た。なぜそこにあるのか、誰も教えてはくれなかった。

 父親は出征し、幼子3人と逃げた母親は糸満市 摩文仁まぶに で米軍に収容された。津覇さんが中学生の頃、2歳の 実吉みよし ちゃんと1歳の 実栄じつえい ちゃんの兄2人の名が 位牌いはい に記されているのに気付いた。母親からは「逃げる途中に母乳が出なくなって栄養失調で亡くなった」と聞いた。沈む表情に、それ以上は聞けなかった。

 保険会社を定年退職後の07年に市の歴史ガイドとなり、文献を読んだり、10人以上の体験者から証言を聞いたりした。当時の浦添村で半数近い4000人余りが犠牲になったと知ったのは、ガイドになってからだ。

 「鉄砲の弾だけではない。極限状態のガマでの生活や栄養失調で子どもたちが死んでいくのが戦争だ」。修学旅行生らへの講話では、体験者から受け取った記憶を話して聞かせている。

     ◎

 南風原町の中学校で講話に臨んだ大城さんは、約200人の生徒に身近な人たちの体験を語るとともに、「戦争体験者の中にいたのに何も知らなくて心苦しい」と心情を吐露した。

 話し終えると、1人の女子生徒が声をかけてくれた。「大城さんの時代と違って、小学生の頃から沖縄戦を学んでいる私たちは伝えていかないと」。大城さんは改めてかみしめた。戦争を知らない世代だからこそ、学び、つないでいくことが大切だと。

     ◇

 島々が戦場と化した沖縄戦の組織的戦闘が終結して23日で76年。減っていく体験者と子どもたちをつなぐ「 はざま の世代」の葛藤を見つめた。

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2142648 0 世代をつなぐ 沖縄戦76年 2021/06/20 05:00:00 2021/06/21 15:57:23 2021/06/21 15:57:23 沖縄戦76年連載用:南星中学校で講話を行う大城逸子さん(5月31日、沖縄県南風原町で)=清水敏明撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/06/20210621-OYTAI50021-T.jpg?type=thumbnail

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