[道あり]柔道家 園田勇さん<1>渋々始めた柔道で開花

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 日本の柔道界で、五輪の金メダルが今以上に強く求められる時代だった1976年、園田勇さん(70)は重圧をはねのけ、モントリオール大会で表彰台の頂に立った。指導者としても教え子を同じ舞台に導き、現在も情熱を注ぎ続けている。

 「闘志の塊」「ど根性」「自分に厳しい」。園田さんをよく知る人たちによる人物評だ。大学時代、試合中に前歯を4本折って血だらけになっても勝負を続けた。「差し歯だったし、まあいいかと思った」。高校時代の練習中にも折ったことがあり、その際も手を休めなかった。

写真=今も母校で指導に当たる園田さん(2017年4月21日、福岡市東区の福岡工大城東高で)=波多江航撮影
写真=今も母校で指導に当たる園田さん(2017年4月21日、福岡市東区の福岡工大城東高で)=波多江航撮影

 母校の福岡工大城東高(福岡市東区)の師範として毎日、柔道着姿で畳に上がっている。「この年では声もよく通らないし、投げられてやることもできない」と苦笑いするが、教え子たちを眼光鋭く見守る姿には、世界の頂点を極め、谷亮子さん(41)や日下部基栄(くさかべ・きえ)さん(38)らを育てた柔道家の風格が漂う。

 意外にも、柔道は嫌々始めたという。農家に4男1女の末っ子として生まれた。小学生の頃は野球少年で、夢は西鉄ライオンズ入団。中学でも野球部に入るつもりだったが、柔道部だった一つ上の兄、義男さんに「柔道着を着てみろ」と言われ、強引に道場へ連れて行かれた。

 兄に逆らえず、「三日坊主呼ばわりされるのは嫌だ」という思いもあって渋々通うと、天性の才能が開花。義男さんは振り返る。「体が大きくて運動神経も抜群。何より負けず嫌い。私も弟に投げられると『何くそっ』と必死になった。お互い切磋琢磨(せっさたくま)して成長できた」

 義男さんは、新設されて間もない福岡電波高(現・福岡工大城東高)に進学。自らも兄に続いた。同校は大会で好成績を上げるために、将来性を見込んだ選手を中学卒業後に系列の専門学校に入学させ、1年間、練習に専念させてから高校に入れる変則的なルートを用意した。2人ともその道をたどったため、高校進学はそれぞれ中学を出た翌年だった。

 公式戦のない練習漬けの日々を経て、1963年7月、満を持して初めて出場した大きな大会が、地元・福岡に各地から強豪が集まる団体戦の金鷲旗(きんしゅうき)高校大会。最大の目標だった舞台で兄とともにメンバーに入り、初制覇した。「福岡に園田兄弟あり」と、その名をとどろかせるようになった。

〈プロフィル〉1946年、福岡県三橋町(現・柳川市)生まれ。福岡工大を卒業後、会社員を経て福岡県警入り。69年に柔道の世界選手権中量級(80キロ以下)で優勝。76年のモントリオール五輪でも金メダルを獲得した。家族は妻と長男、長女。

=2017年5月9日 読売新聞地域面(西部本社版)掲載=

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