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[道あり]アイ・ケイ・ケイ 金子和斗志さん <2>家業継ぐ 幼心に決意

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幼少期の金子会長(左)。中央は兄の比登志さんと母和枝さん(アイ・ケイ・ケイ提供)
幼少期の金子会長(左)。中央は兄の比登志さんと母和枝さん(アイ・ケイ・ケイ提供)

 1952年、佐賀県伊万里市に生まれた。乾物屋やスーパーを営む両親は忙しく、自由奔放な毎日。小学校の宿題を家庭教師に押しつけて遊びに行くこともしばしばで、「宿題は100点、テストは0点だった」と笑う。

 「スーパーマーケットを全国展開するのが夢」

 小学生の時、作文に書いたのを覚えている。「両親から聞いた話をそのまま書いたんでしょう」と振り返るが、「いずれは後を継ぐ」と幼心に決めていた。

 友人の間では「後ろから付いていくタイプ」とされる存在だった。中学時代の同級生に誘われ、高校でバレーボール部に入った。体が弱く厳しい練習に音を上げることもあったが、卒業する頃には、体つきも出来上がっていた。「仕事で飛び込み営業ができる体力があったのはバレーボールのおかげ」と感謝する。

 高校卒業後は、大阪で浪人生活を過ごした。勉強はほとんどしなかった。予備校に行かず、朝起きたらパチンコ店に行き、夕方に友人と遊んで、お金がなくなったらアルバイトする。そんな自堕落な毎日を2年間続けた。「家業があるし、大学はいいか」。進学を諦め、働き始めた靴店で商才を発揮する。

 雨の日、長靴を求めて客が来店した。店に長靴は置いていない。代わりに人工皮革の靴を薦め、「ぬれても平気ですし、長靴より見た目もいいですよ」。客は気に入って買ってくれた。「客の目的を理解して商品を薦めれば喜んでもらえる」。売り上げを伸ばし、新人ながら店長にと打診された。

 両親はその頃、ビジネスホテルを始めていた。店長の誘いを断り、家業を継ぐため東京のホテル専門学校に通い、74年に実家に戻った。だが、ふと目を通した予約台帳は真っ白。ホテルは1億円かけて客室を増築中だった。宿泊も宴会も予約が入らず、改装オープンは約1か月後に迫っていた。

=2021年2月10日 読売新聞地域面(西部本社版)掲載=

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2151842 0 道あり 2021/06/24 05:02:00 2021/06/24 05:02:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/06/20210623-OYTAI50020-T.jpg?type=thumbnail

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