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[道あり]前北九州市長 末吉興一さん<2>貧しい家庭 自立心育つ

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 生まれたのは兵庫県だが、幼稚園に入る頃には、両親の出身地である福岡県小倉市(現・北九州市)で暮らすことになった。銀行員だった父、留男さんが転職したことをきっかけに、一家の生活は苦しくなった。

 親戚を頼り、夜逃げをするように今度は同県東郷町(現・宗像市)へ。家計は厳しく、一時期、寺に預けられたこともあった。

 その後、留男さんの木材会社での仕事が軌道に乗り、国民学校3年の時には大分県竹田町(現・竹田市)に移り住んだ。学校では農作業などの勤労奉仕に励み、5年生の時に終戦を迎えた。戦争中は教育勅語を納めていた奉安殿が恭しく扱われていたのに、戦後は掃除用具入れになったことに驚いた。

 3人兄弟の真ん中。体は小さかったが、野球が好きで堅守の三塁手でならしたという。中学生の時には自分でラジオを組み立て、プロ野球や高校野球の実況中継を聴いた。熊本県出身だった巨人の川上哲治さんや、夏の甲子園を2連覇した小倉高校の活躍に胸を躍らせた。

 「当時の小倉高の先発メンバーは今でもそらんじることができる」と笑う。

 大学受験に失敗し、浪人することになった頃、留男さんの仕事がうまくいかなくなった。一家は再び、逃げるように小倉に戻った。

 1954年、浪人して東京大に進学。都会の寮生活が始まった。実家の援助はなく、学費や生活費はすべて家庭教師などのアルバイトで稼いだ。家庭教師は多い時には4軒をかけ持ちし、実家に仕送りもした。

 「子どもの頃の貧乏生活で、自立心が育ったと思う。自活していることに誇りを持っていた」

 実家の家計を助けるためにも安定した収入の仕事を選び、大学4年の時に国家公務員の上級職に挑戦。旧・郵政省、建設省に受かり、迷った末に建設省を選んだ。「興一」という名前が、自分の誕生前後に日本を襲った34年9月の室戸台風からの復興に由来することを留男さんから聞かされたからだった。

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2171154 0 道あり 2021/07/01 17:00:00 2021/08/23 12:15:02 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/08/20210823-OYTAI50018-T.jpg?type=thumbnail

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