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[道あり]前北九州市長 末吉興一さん<4>周囲に推され市長選出馬

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 「北九州市長選に出てほしい」

 1986年2月、自民党の幹事長だった金丸信氏に呼び出されて、5期20年で引退を表明した谷伍平市長の後継として市長選への立候補を打診された。金丸氏が旧・建設省の大臣経験者だったため顔見知りではあり、「難航する後継者選びの中で浮上したようだ」と振り返る。ただ、51歳だった当時は国土庁の土地局長で公務員の仕事にやりがいも感じていた。「できません」と即座に断った。

 その後、福岡県選出の自民、公明、民社各党の国会議員らが集まる会合に呼ばれ、出馬を要請された。ここでも断ったが、「検討だけでも」と言われ、「検討だけなら」と返事をした。

 まもなく、新聞に自身が出馬するとの大きな記事が出た。自公民3党からの要請に前向きな返事をしたかのように書かれていたが、「そんなつもりはなかった」。

 しかし、報道をきっかけに立候補は既成事実化していった。最後は「これも自分の運命だ」と決断。北九州市は両親の出身地で幼少期を過ごした場所でもあり、「郷土の役に立てるなら」という気持ちも生まれた。

当選を決め、支持者にこたえる末吉さん(前列右)と谷伍平市長(同左)(1987年2月8日、北九州市小倉北区で)
当選を決め、支持者にこたえる末吉さん(前列右)と谷伍平市長(同左)(1987年2月8日、北九州市小倉北区で)

 当時の北九州市は、基幹産業である製鉄業の不振で、経済は冷え込んでいた。特に雇用の安定は深刻な問題だった。市長選では、街の再生と復興を意味する「ルネッサンス」構想を掲げた。接戦が予想されていたが、29万4303票で対立候補に約8万票差をつけて当選。事務所に集まってくれた支持者の姿を見て、「市民の期待の大きさを感じた」という。

 87年2月、市役所へ初登庁した時、背広のポケットに入れていた手帳には、初当選を報じた新聞記事の切り抜きを貼り付けていた。記事には「末吉さん、頼みますよ」の見出しで、新市長に期待する市民10人の声が載っていた。切り抜きは手帳を新しくするたびに貼り直し、退任するまでの20年間持ち歩いた。

 「初心を忘れないためであり、自分自身を励ますカンフル剤だった」と話す。

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2182565 0 道あり 2021/07/06 10:32:00 2021/07/06 11:25:12 バンザイで支持者にこたえる末吉興一氏(右)と谷伍平市長(北九州市小倉北区中津口の選挙事務所で、8日午後10時14分)1987年2月8日撮影 9日付け朝刊19面 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/07/20210706-OYTAI50002-T.jpg?type=thumbnail

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